去年の今頃は、みーしゃが頻繁に倒れ始め、心がズタズタになり始めた頃でした。


何が何だかわからずだったあの頃、みーしゃとの別れが近いのか心も決まって無いのに、どうして良いのかもわからず、とにかく倒れる時の状況を排除してやりたい!と思っていたと思います。


その頃は、倒れる原因が投薬によるストレスでは?との事で一時は投薬を一切断ったりもしました。


その後、不整脈により心臓が止まってるとわかるまで2ヶ月程。

みーしゃの心臓はトータルで1000回を超え止まりました。

その回数は記録を付け始めてなので、それまでを入れるともっともっとだったと思います。

ある日は、1日80回を超え、記録を付けるも処置でいっぱいで追いつかず…途中で記録するのを止めた日も何度もあります。


最初の頃は、心停止時間は短めでしたが、徐々にそれは長くなっていきました。

停止中の症状もどんどん酷くなり、最初はふーっと気絶したような感じだったのが、唸り鳴き痙攣を起こし、失禁と意識がなかなか戻らない状態になっていきました。


のちに通っていた病院で1番長く心停止したコは20秒と聞きましたが、みーしゃはそれを遥かに超えた40秒位でした。


それと並行して、色んな障害に見舞われていきました。

原因は定かではありませんが、多分これからだろう!という事だけで。腰や老化や心臓や脳や腸etc

薬で治せるものでも無く、障害が出始めると対処や介助をしていきました。


排尿障害に始まり、排便障害。

接水障害に自力ではご飯も食べられなくなりました。


全てにおいて、自力で出来るように模索しやっていきますが、それも出来なくなるとコレまでか?

と思いながらも、とにかくこれ以上しんどくさせたく無い!と思い、闘病前は強制給餌しない!と決めてましたが、障害による2次的疾患にさせたくない!の思いから介助や強制的にやっていく事になった思います。


自力で出来無い事は、人間による手助けが必要な訳で、それは全てにおいてみーしゃのストレス負担になるのでは無いか?

もうして欲しく無い!と思ってるのでは無いか?と事ある度に考え辛かった事でした。



何度もそんな場面がおき、先生に相談しました。

もう何もしない方が良いのかな?と。

先生は、諦めの早い飼い主だな!と笑って喝を入れてくれました。


人間以外の生き物は、最期の最後まで生きたい!と思ってると僕は考える。

死にたい!もういい!と思う動物はいないと思うと言われました。


ある日はこんな事も。

人間はヨボヨボになっても介護する。

ヨボヨボになったら生きていてはダメなのか?

違うよね!最期まで生きる手助けをするのでは?



私の理想では腕の中で眠るように!と思って来てましたが、みーしゃの最期は呆気ないものでした。

冷たい場所を探す事もなく。


嘘でしょ?待ってまだダメ!!無理!いかないで!

と叫びながらも、もうダメなんだと思い

心臓が動いてるうちに、ありがとう!愛してるを言わなければ!と。慌てて叫びました。

午後2時10分に心臓が止まりました。


泣き叫びながも呆然となりながら、何が何だかわからずの最期でした。

何度も心臓が再び動いてくれてたのに、その時は心臓の前に呼吸が止まりました。

もしかしたら、また戻るんじゃ無いかと思ってしばらく酸素器を口元に当てたり抱きしめたり、ゆすってみたり。


みーしゃからすると、最期までバタついた飼い主だったと思います。

みーしゃ自身もまだ生きる!頑張りたい!と瞬間まで思っていたように思えました。


バタつきながらも、目には見えない糸のようなものが天から伸びていて、プツんと切られたような感覚がありその様に感じました。



最期の最後まで私が思ってた事は、しんどくさせたく無い!でした。

そう思うと、しんどい思いはしなかったのかもしれません…。

けれど理想のような最期ではありませんでした。

もっと抱きしめたかった!



色んな障害がおき、初めての事を沢山しました。

排尿障害では、どうにか排尿させなくては!と模索し、排便障害では摘便をし、強制給餌に強制飲水。

その都度、ストレスを与えてるのでは?と思う気持ちと、しんどくさせない為にはいかに看護を上手く出来るか?の天秤で模索の日々、上手くいった時は私もみーしゃも、やったー❣️とハイタッチするようでした。


何事もでしたが最初は不慣れ故に泣きながら!

みーしゃも嫌がる事も多く辛かったです。

お互いにどうすれば無理なく頑張らず自然な事と出来るかを模索し、全てにおいて最終的にはみーしゃも私を頼っていたように思いました。


何もかも、合図を送るとその準備をみーしゃ自身もしてくれました。

楽になる!とわかるのだろうと思えてました。


摘便する際は、最初は逃げてましたが、ゴム手袋を見せ💩とる?と聞くと、オシッコシートの上にやって来て自分で準備してました。


排尿する時も、お腹のガスを抜く時も、強制給餌する時もでした。



私の後悔は、もっと上手くもっと素早く看護の技を身につけてお世話に励みたかった!

至らない看護だったんじゃ無いか?と思う事です。


今、最期の頃の動画なり写真を見ると、もう全然違ってる…と思えますが、当時は毎日の事で日常だったので死期を感じる事も私は出来ませんでした。


主人は亡くなる2日前位からそろそろ!と思え会社に行くにも、毎日今日も会えた!と帰って来てたそうです。


病院の先生は、昨年の10月位にはもうダメだと思っていたそうですが、復活し本当に生き物とは、わからないものだ!と思っていたそうです。




今、流す涙と当時の涙は違ってます。

今はそんな闘病期の事の記憶が薄れ単純にみーしゃの元気な頃の記憶が強く、私自身の寂しさからの涙に過ぎません…。


今の涙は、当時流せ無かった涙と思う事もあります。

かわいいみーしゃとんでもなく賢いみーしゃ

一生の誇りです♡


きっと皆さんも我が子との絆は同じなんだろうと思ってます。

1秒でも同じ時を共に過ごして下さるよう切に願ってます。