夜は普通に寝ることができて、ごはんも残さず食べられた。

 

朝一で内診。

ラミナリア20本抜いて、陣痛促進の膣剤を入れた。

 

夫には立ち会ってもらう予定で、当日もうすぐって時に連絡することになっていたけど、

この朝の内診の後ですぐに来てもらってOKと言われた。

 

朝ごはんが出てくる気配なくて、今日はもしや何も出ないのかなと心配したけど、

でてきた笑

(この状況でそんなこと心配する人いないよねぇ・・・)

(でもごはん食べないと出産に備えられない!って思ってて・・・)

 

夫もお昼前に到着して、雑談。

そして2回目の内診で2回目の促進剤。

この時には少し生理痛のような痛みがあったけど、まだぜんぜん余裕だった。

でも、お昼ご飯を食べる頃には食欲がでない位痛くなってて、気づいたら夫とも話づらくなってた。

さすがに痛いなと思ってナースコールしたらすぐに分娩室へ行くことになった。

(てくてく歩いていったよ)

 

分娩台に乗るときにふと時計を見て12時半頃だった。

それから陣痛にひたすら耐えてた。隣でベテラン助産師さんが腰さすってくれていたけど、さすってくれてると本当に痛みがなくなって、プロフェッショナル!と思ったー。

上の子の出産の時はまだまだコロナ禍で夫の立ち合いは生まれる直前までNGで、陣痛もひとりぼっちで耐えてたから、いきみ逃しとか自分でがんばるしかなく、孤独だったから、助産師さんの凄さをはじめて知った。

おばあちゃん助産師さんで、多くを話すこともなく、でも優しく寄り添ってくれて、とても素敵な方だった。

 

途中でもう我慢できそうになかったらいきんでもいいよと言われたけど、まだ大丈夫って感じで、よくわかってはいないけど、ぎりぎりまで下におりてくるのを待ちたい気持ちだった。

(小さいからあまり早くいきむと赤ちゃんも苦しいのかなとか勝手に思って・・・)

 

そしてそろそろ無理だと思った時に何回かいきんで、、なんだけど途中で陣痛のピークを過ぎてしまったようで、次陣痛きたら生まれるって時に、痛みがなくなってしまった。。

先生が陣痛遠のいた感じする?って聞いてきたので、はいーって返事をして、、なので、陣痛ないけど、最後にもう1度いきんで、生まれた。(その時先生に少し手入れられてめちゃくちゃ痛かった・・・)

13:04だった。

もちろん産声はなくて、すぐ連れていかれちゃった。

それから胎盤を出すためにぐーっとお腹押されたりしたな、、それもまあまあ痛かったけど、もうあまり覚えてないな。

ただ、上の子の時は胎盤だす過程をまったく覚えていなくて、はじめての体験だった。

 

先生には私が上手にいきめたから、きれいに生まれましたよって言ってもらえた。

(お世辞かもしれないけど、とても小さいからそういかない時もあるんですって言ってた)

 

自分でも不思議だけど、ひょうひょうとしつつも、現実はわかっているから、とにかく赤ちゃんのことを思いながら、一緒にがんばろうねって心の中で声をずっとかけていたから、きれいに生むことができたのはとてもうれしかった。

(気持ちの面のことはまた改めて書きたいな。)

 

その後は出産が終わったことにほっとして、少し放心状態だったけど、もういなくなっちゃったんだって実感してとても悲しかった。立ち会った夫もぼろぼろ泣いてた。

 

少ししてから個室に戻った。

後陣痛?なのかお腹が結構痛くて、鎮痛剤をもらった。

30分位ぼーっとしてたけど、早く赤ちゃんに会いたくて、連絡して連れてきてもらった。

 

小さな箱の中で、小さな産着を着せてもらっていた。

後で母子手帳に書いてもらって知ったけど、27㎝、406kgだった。

上の子の生まれた時にそっくりなお顔で、指もしっかりあって、本当にただただ小さい赤ちゃんだった。

とてもとてもかわいかった。悲しいけど、でも、産むことができて、会うことができて、うれしかった。

 

夫と名前をつけたいねと話していたけど、性別がわからなくて、とりあえず男女どっちの名前もあれがいいこれがいいと楽しく話しながら過ごしてた。

その場で確認をしてもよかったけど、産着を着ていたのと、あと羊水過小が原因なのか、下半身がつながってしまうというケースがあることを見たことがあったから、なんとなく確認するのが怖くて、できなかった。

その後、先生が来てくれて、”おそらく”女の子だと思うと言われた。詳しくは聞かなかったけど、はっきり言えないということははっきり見えない(ない)ということで、、、でも過去のエコー写真をたどって、確証はないけど、おそらく間違いないだろうという言い方だった。

 

上の子が男の子ということもあって、女の子が生まれるイメージがなかったから少し驚いたけど、女の子だったんだとわかって、それはそれでとても楽しそうだったなと思った。

 

それから名前を決めた。

書くことはあまり機会がないから、呼び名優先で、素敵な名前をつけられたと思う。

 

その後16時頃に葬儀屋さんが来て、火葬日を決めた。

手続き関係もすべてやってもらうことにした。

 

赤ちゃんはこの後どうなるんだろうと心配していたけど、葬儀屋さんが預かるようで、葬儀屋さんとの打ち合わせ終了と同時に連れていかれてしまった。

小さな箱のふたを閉めて、小さな棺に入れて、、、。

この時、手作りした小さな産着を一緒に箱に入れてもいいか聞いて、入れさせてもらった。

入院する数日前に完成させて、持って行っていたけど、病院で用意してくれると思ってなかったら特に助産師さんに聞くこともなく、後で着せてあげればいいのかなと考えていたんだよね。でも病院で着せてくれていたのもとても可愛かったから、私のはお着換え用にということで重ねて入れた。

(身体があまりにも小さくて華奢だから、着替えさせるのは無理と判断したよ)

 

そして一時のお別れ…。

この時が私は火葬の時よりなにより一番辛かった。わんわん泣いた。

息はしていなくても一緒にいられるだけでとても複雑だけどとても幸せな気持ちだった。

夫と3人で名前を決めたり、写真をとってり、話しかけたり、とても穏やかな時間を過ごしていたから、お別れがとても辛かった。産んだばかりのわが子と離れないといけないというのはこんなに辛いのかと…。

その時は息をしているかしていないかは本当に関係なく、ただただわが子はわが子だった。

 

そんな気持ちだったからか、おめでとうを言ってもらえないということがとてつもなく悲しかった。

私がではなくて、そこに命があったのに、だれからも祝福してもらえない子にしてしまったことが辛かった。

もちろんどうしようもない病気だから、こんな話をすれば周りは私のせいじゃないと言ってくれると思うけど、なんかそうじゃなくて、どんな状況でも自分の子がそんなことになるはとても辛かった。

家族や本当に仲の良い友達には、言葉だけでも「おめでとう」と言ってほしいとお願いしたい、お願いしようかなと思ったりもしたけど、それもお願いされる方は複雑すぎるよね…と思ってできなかった。

 

夫はその後すぐに帰った。

私はさすがに涙が止まらなくて、ごはんも食べる気になれなかった。

(やっと本当に実感したのかな)

 

が、その後落ち着いて完食した。(私ってどこまで・・・・)

 

 

長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれる方がいたらありがとうございます。