1951年4月に高槻市最初の府立高校、島上高校が開校して以来、なんと20年近く、高槻市には府立高校は島上高校一校のみだったようです。
「市内にもう1校府立高校を」「ぜひ市の北部に高校を」と市民の要望から、1961年12月、高槻市議会で高校誘致特別委員会が設置され、再三府に対して陳情が繰り返された結果、69番目の府立高校として、1970年4月に開校されたとのことです。
三島高校の敷地面積は、39.502㎡(約12000坪)で府立学校でも有数の広さを誇ることは私たちも実感として、よく知っていますよね。
グランドがとにかく広い。
サッカー部と野球部が同時に部活動していましたよね。
(懐かしのグランドの写真は施設編①でご紹介しています)
満を辞して、高槻二校目の府立高校誕生✨のはずが、今城塚など多くの遺跡を残す場所に建設するのは、色々な困難に直面したのですね…
我が三島高校が、毎日新聞の見出しで、
「遺跡こわし高校」呼ばわりされたとは、衝撃ですね💦
今まで運動場に出る時、階段を上がる構造に特に疑問を持っていませんでしたが、「郡家今城遺跡」を地下に残したまま保存するため、1m盛り土をしたからなのですね。
当初の設計から、色々と変更を余儀されなかったようですが、遺跡の保存と学校の設立を両立させて開校にこぎつけられて良かったです✨
あと校名の候補も面白く感じました。
「富田高校」
「今城高校」
「阿武山高校」
「府立高槻高校」…
う〜ん、今となってはどれもピンとこない…💧
スケールの大きい学校造りを目指すとの理念から、三島郡の中心ということで、
「大阪府立三島高等学校」だそうです👍✨
(写真はホームページより拝借)
ちなみに、現在、三島高校のすぐ近くに整備された『今城塚古墳公園』という立派な公園と、併設された『今城塚古代歴史館』があるのはご存知ですか?
今の三島生は公園で何か練習するというと、この公園に行きます。
そのせいか3年間三島高校に通った次女が、津の江公園も西河原公園も知らないのには驚きました。
今は応援団の練習を外で出来ないというのもありますが…
三島高校のすぐそばにこんな立派な古墳があるとは、驚きでした。
みなさんも機会があれば、行ってみてくださいね。