「初めまして、棚沢です」
 
綺麗に整えられた白髪にシルバーフレームのシンプルな眼鏡。私に向ける眼差しは少し遠慮がちで、柔らかい。50代後半だろうか。
宮田先生に紹介されたV大学病院の棚沢教授は、この大学病院の教授の中でも群を抜いて優秀な人だと聞かされていた。
だが、偉そうな印象はひとつもない。
内分泌代謝疾患の権威で、甲状腺疾患に関する論文を多く書いていると聞いた。でも、所属は消化器外科。東大医学部を首席で出たということも聞いている。
 
「しかしまあ…宮田先生はこの珍しい疾患を良く見つけてくれましたねぇ…三島さんは発病からどのくらい経過してますか?」
棚沢教授がCTの画像を見ながら言う。
えーっと、最初に具合が悪くなったのはいつだっけ。あまり良く憶えていない。ただ、急激に苦しくなったのはこの1年半くらいだと伝える。
「たった1年半で確定診断してもらったのは本当に運がよかったですね」
え、そうだろうか。「1年半もかかった」という気持ちのほうが私には強い。それほどまでに毎日毎日いつもどこかが具合が悪かった。でも、初対面のお偉い教授にはおいそれと反意は言えない。
 
でも、私の心を読んだかのようにすかさず棚沢教授が言う。
「患者さんにとっては病名が判るまではほんとうに長く、とても苦しかったですよね…」
私はああ、この医師なら気持ちを汲んでくれるかも、と途端に安心する。
「この病気は本当に稀少疾患で、病気が発見されないまま亡くなってしまって、解剖で判明するパターンも少なくないんです」
宮田先生のお母様もそうだったっけと思い起こす。
 
「褐色細胞腫の治療の第一選択は外科手術です。切除可能な場所であれば、摘出するのが一番。幸いなことに三島さんは手術できる箇所ばかりに腫瘍があります」
「幸い」という言葉を使われたことに、この時の私は少しムっと来た。心からの実感としてこの「幸い」の意味が把握できるまでには、その時の私にはまだもう少し時間が必要だった。
 
「巨大化し腫瘍化した左副腎はすべて摘出します。あと、肝転移がありますのでこれも。それと、リンパ節に少し転移が認められます。すべて摘出します。それと「郭清」と言って、転移しそうなところを広く切除します。脊髄に沿った部分のリンパ節はすべて全部そぎ落とします。そして胆嚢。この臓器は非常に転移しやすく、転移するととても厄介な臓器です。人の体に無くても大丈夫なので、これも摘出します」
 
え? え?
待って待って。スーパー外科医、ストップストップ! ! 
なんで健康な臓器まで摘るのよっ。
「あ、あの、なんともない臓器を摘出するのですか?」
「ああ、すみません、説明が大雑把すぎましたね。失礼しました。三島さんの副腎は大人の男性の握りこぶしよりも一回り大きいくらいの増殖があって、肝臓にもすでに転移が見られることから、ええっと…」
棚沢教授が言葉を選んでいる。
 
……「三島さんの腫瘍は、とても、勢いがあるんです。この先のことを考慮した場合、先回り戦術をするといいますか…」
おお、なるほどね。「悪性度が強いからこの先散らばる」という言葉を避けたな。
 
その当時はまだFacebookもTwitterもInstagramも何もかも無い時代。
ブログさえ開設している人は少なく、当時流行した「ホームページビルダー」の独特なロゴを多用したHTMLの変なサイトがネットには溢れていた。
ネットを活用している人も今と比べたら圧倒的に少なかっただろう。
「褐色細胞腫」で検索しても、出てくるのは「医大生のための褐色細胞腫の覚え方」が殆どだった。この病気は特徴的な疾患で10%病などとも言われ(※2)、医師国家試験には毎年必ず出題される問題のようだった。
 
当時、どう調べてもこの病気の詳しい情報はとても少なく、やっと見つけたとしても書いている人によって中身はバラバラ。そして実際の患者の手記なども皆無だった。同病患者と繋がりたくても、それはできなかった。
 
しかし私は見つけてしまっていた。
〈褐色細胞腫のうち良性率は90%。残り10%は転移性の悪性褐色細胞腫であるが、その場合急速に転移し5年生存率は0%である〉というネット記事を。(※3)
 
私はどうしても信じられないでいた。
ドラマで見てきた瀕死の人というのは、もっともっと弱っているはず。
いろいろな症状に悩まされてはきたけれど、5年生きられないほどの死にかけの病人であるという実感は全く持てなかった。
この現実感のなさは一種の逃避の思考だったんだと後々気づくが、その時はまるですべての出来事がヒトゴトで、どこか一枚見えない膜が私と世間との間にあるように感じていた。
 
診察室の後ろのドアがノックされる。
「失礼します。棚沢教授、ちょっとよろしいですか。例のKrankeですね」
背のやたら高い、白衣の前ボタンを全部開けた医師。すごい彫が深くて顔が濃い。そして妙に身振り手振りが大きい。スカしたイタリア人みたいだ。40代前半くらいか?
 
イタリアン医師は診察室に入ってきたと思ったら私の顔も見ずCTの画像に釘付けになっている。なんなんだこの失礼な医者は。
「おおお、すごい、これだけの大きさのpheochromocytomaはめったに見られませんよ!」おいおい、なんで笑ってんだよ。で、わざわざドイツ語混ぜんなよそれ時代遅れやで。
 
でも医療を志す人というのは、めったにお目にかかれない病気に遭遇することは「ラッキー」という面もあるんだと、私はこの先何度も思い知らされることになる。
や、だとしても、病巣を見て患者の前で笑うのはどうなんだよ。自己紹介くらいしろよ、と思っていたら棚沢教授が口を開く。
 
「あ、こちらは同じ消化器外科の梶並教授です」
「あ、はい。よろしくおね…」私が頭を下げようとすると、目をキラキラさせてイタリアン教授が言う。
「すっごいよなぁ、これ、いつから自覚症状あったの?」
 
そんなに珍しい病気なのか。
え、私ってなに? もしかして宝くじ当てたようなもん?
え、13時間の手術するの? 手術はとても難しいって? 手術中に副腎からカテコールアミン大量放出して高血圧で亡くなる可能性がある? 麻酔科の医師泣かせのオペなんだって? 
 
で、私はこの先どうなるんでしょうか。
 
ぐるぐるの思考を持て余し、私はかえって冷静になる。
さて、これを正確に家族と婚約者に伝えられるだろうか。
どんな風に言えばいいのだろうか、と考えあぐねていたら、棚沢教授が言う。
 
「あの、三島さん、後日ご家族の方を呼んでいただけますか?」
 
ひぇぇ、これってもうすぐ死ぬ人に言うヤツやんけ。
困ったなあ、家族がパニックになるのは目に見えている。
「あの、穏便に話していただけませんでしょうか。私がわかっていればいいんで、大したことないって言ってほしいんですが」
「それ、逆ですよ。普通は患者に隠すんだよ。あはははは」イタリアン梶並Drがまた笑う。あの、ここ、笑うとこ? 腹立つなあ。
 
後日、家族と婚約者がV大学病院に呼ばれ、棚沢教授と初めて対面した。
 
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(※2) 褐色細胞腫は『10% 病』と言われていました。
副腎外発生が約10% 両側性発生が約10%
悪性腫瘍が約10% 家族内発生が約10% 
小児発生が約10%
…という統計があり、見事に揃ったこの10%がこの病気の特徴であるとも言われていました。
研究が進んだ現在、この数値は正確ではないと言われています(国家試験では相変わらず『10%』として出題されていますが)。
 
ほかにもこの病気の症状、
 高血圧(Hypertension)
 高血糖(Hyperglycemia)
 代謝亢進(Hypermetabolism)
 頭痛(Headache)
 発汗過多(Hyperhydrosis)
の頭文字のHを取り、5H病とも言われます。
血糖値が上がるので、糖尿病と誤診される人も多くいます。
 
(※3) 記事中の5年生存率0%というのは明らかな間違いです。
外科的治療と内科治療を適切に施せば、現在の5年生存率は90%と言われています。
でも、たまたま当時、私はネットでこの記事を発見し、頭から信じてしまっていました。
 
記事中の固有名詞や病院名などはすべて仮名です。