多忙およびネタ切れの為、ブログ更新が滞っております。
さて、非アメンバーの方はご存知ないでしょうが、2つ前の記事「自分史 高校吹奏楽部68 【高3秋☆まだ吹いてます学祭 体育祭編】」に登場した、高校時代の学年のカリスマリーダーだったヤマグチ君(とその仲間たち)。この度ブログを書くにあたり彼らの事を思い出し、色々と思うところがありました。
ヤマグチ君は高校に入学してまずは仲間たちとハンドボール部を立ち上げました。自分で部を作っちゃうなんて漫画みたいだな!と、既存の吹奏楽部に入った私は感心したものです。
さらにヤマグチ君をはじめとするハンド部のメンバー達は、学校行事のたびにいつも中心となり音頭をとり、自分達だけでなく学年全体、はたまた学校全体が楽しめるよう、常に皆を導いてくれました。
ブログにも書いた体育祭や文化祭、修学旅行はもちろん、
遠足は全て自分で手配
行き先はもちろん行って何をするか、全て生徒が自分たちで決めます。
学年全体の時もあればクラス毎に決める時もありました。
学年全体での時はヤマグチ君が中心に、各クラス毎の場合でも大抵クラスにはハンドボール部員が何人かいるので、彼らが率先して行動してくれました。
さらに大型バス&バスガイドの手配なども全部生徒(実際にはヤマグチ君&ハンド部員)が行っていました。中学では基本的に遠足の手配などは教師がやっていたので、「そうか義務教育でなくなった高校では、そういう手配も生徒が自分自身でやるのか」と、当時の私は妙に納得していましたが、今思えば義務教育とか全く関係なかった。
みなとみらいを舞台に壮大な謎解き
高3秋、2年生が修学旅行に行っている期間、1・3年生に「何をやってもいいよ〜」な日が1日与えられた為、3年生は謎解きレースをやる事に。まず間違いなくヤマグチ君たち発案の企画でしょう。
全クラス(団塊ジュニアなんで12クラスもある)5〜6人のグループになり、出されたお題を解きながら関内桜木町などの今で言うみなとみらい地区のあちこちに設けられたチェックポイントを目指し次のお題をGET、ゴールの山下公園に早く着いた上位5チームは商品が貰えるという、田舎の高校生の企画とは思えない壮大なイベントでした!
準備ももちろんですが、当日のチェックポイントのスタッフ配置や表彰式の盛り上げも本当に大変だった事でしょう。
高校生活最後のお弁当
卒業式を目前に控えた高3の3月。最後のお弁当の日。
中庭(学校祭の開会式の時に私たちトランペット隊のロス五輪ファンファーレと共にヤマグチ君が開会宣言をした場所です)にヤマグチ君たちが集結し、マイクで全校生徒に呼びかけました。
ヤマグチ君「3年生にとっては高校で食べる最後のお弁当です!皆さんご唱和下さい!せーのっ、いただきまーす」
こうして私たちは高校生活最後のお弁当を食べたのでした。
もし遠足も教師任せで大人たちの決めたレールに従っているだけだったら、遠足の記憶なんて無かったでしょう。実際同じ高校の後輩である夫に「高校の遠足の記憶ある?」と訊ねたら「高校の記憶は部活しか無い」と言っており、ヤマグチ君たちがいなかったら私も同じだった可能性が高いです。
自分たちで決めたから思い出として残っているし、バスの手配という経験も社会に出てからの役に立ったはず。
謎解きレースだって「何をしても良い日を与えらても受験勉強忙しいし自習で良くね?」で終わってたら、何の記憶も思い出も無かったでしょう。
高校生活最後のお弁当だって、何も無ければただの昼休みで終わってました。
でも自分で考えて決めて自分で動けば
遠足だって社会勉強になるし、
ただの自習の日も大冒険の1日になるし、
単なる昼休みも特別なお弁当になる。
自分次第で毎日はいくらでも彩る事ができる。
吹奏楽部の定期演奏会だって、他の誰かが曲を決めて配られただけの楽譜をただ吹いた演奏会より、自分で曲決めや演出に携わった演奏会の方が圧倒的に愛着のある忘れられない演奏会になる。
ヤマグチ君たちに導かれ従っていただけの私ですらこんなに色々な行事を良き思い出として記憶しているのですから、きっと中心になって頑張ってくれたヤマグチ君たちは高校生活が本当にかけがえなく、大きな自信となりその後の人生に活きたのではないでしょうか。今どこでどうしているか全く存じませんが。
部活しかなかった私の高校時代に、素敵な思い出を作ってくれた上に大切な事を教えてくれた彼らに、感謝。