カレイドスコープさんの記事よりお借りしました。
京都大学の防災研が開発した『全地球測位システム(GPS)を使って利用者がいる位置が示され、津波が来るまでの時間と津波の高や、地震発生からの時間、自分が歩いている速度』などほ表示してくれるアプリ。
津波到達5分前になると警報が鳴る。安全な場所まで避難できると「避難成功」と表示され、訓練の記録も蓄積される。
南海トラフ巨大地震で想定される津波データを組み込み、画面の地図上に浸水域が徐々に広がっていく仕組み。
(ソース)
まだデータが不十分で、防災研は、「開発版ですので、全ての端末で動作保証するものではありません。動作サポートも行っておりません。また予告なしに公開停止する場合があります。ご了承ください。(※対応地域にも限りがあります)」としながらも、専用サイトで公開している。
http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/yamori/nigetore.html
インストールの方法は、以下のガイダンスで。
http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/sip/
戦争では一般市民が多くの犠牲を払わねばならない・・・
本当に戦争をやりたがってる人々は高値の見物??
今の自衛隊派遣も真っ先に、法案を通した国会議員達が紛争地域へ
出向いて行って、現地での活動を行って欲しい野だが・・・!
下記、再び トカナより引用しました。
今年はアメリカ大統領が戦後初めて公式に広島を訪問するという、日本現代史に刻まれる出来事が起きた年となった。しかし、もちろんもうひとつの被爆地、長崎も忘れてはならない。先日、これまで世に公開されることのなかった、被爆地の模様を収めた写真の数々が71年の時を経て日の目を見ることになったのだ。
「Daily Mail」の記事より
■被爆直後の長崎を激写した男
広島への原爆投下の3日後、1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、長崎県・長崎市に原子爆弾が投下された。その12時間後、命令を受けて駆けつけた日本軍属のカメラマン山端庸介(やまはた ようすけ)氏は、被爆地の凄惨を極める光景を熱心にカメラに収めた。山端カメラマンに命じられた任務は、現地の悲惨さを物語る写真を報道機関への配布用になるべく多く撮影することであった。
被爆地を訪れ、さっそく精力的にシャッターを切る山端カメラマンだったが、目の前に広がる信じられない光景に圧倒されるばかりであったという。爆発と爆風の凄まじい威力に建物はことごとく吹き飛ばされ、ガレキに覆われた真っ平らの大地には、真っ黒焦げの遺体や、瀕死の体で逃げようとする被爆者の姿があった。
情報統制が敷かれたため、大部分が没収されたということだ。1952年にGHQの規制が解かれると、没収を免れた写真の数々が編纂されて写真集『記録写真 原爆の長崎』が出版され、同じく同年にアメリカの雑誌『LIFE』でも特集された。
さらに1962年8月20日の『週刊読売』でも特集されたのだが、記事では山端氏が自ら写真を解説した言葉が綴られている。
「Daily Mail」の記事より
「被爆地の全体の景観を見ようと、私は小さな丘に登った。焼き尽くされた街は小さな鬼火のようなものが点在し、空は青く星に満ちていた。それは奇妙なほど美しい光景だった。引き返そうとしたとき、もう死にかけている人の声が聞こえた。『水をくれ! お願いだ!』」



