シメイ.コマツ さんの ブログより

チェルノブイリと並ぶ世界的な原発事故となった福島第一原子力発電所の事故直後、汚染水を固化させる特殊な技術を持つ技術者として作業にあたっていた作業員の方の話によると、福島の現場がいかに過酷な修羅場であったことかが想像できる。

 東京電力の管理下にあるため、ここでの作業内容の詳細は明かされていない。あまりにも過酷すぎるため、外部に漏らすことによって、不安を与え原発作業員の減少につながるためだと思われる。


 「一番ひどいときで一日で0.5ミリシーベルト浴びたんだよ」

 東京電力・協力会社の代表であるYさんに偶然にも話を聞くことができた。

 かつての日本の法律では、一般成人が浴びても良いとされる放射線量は年間1ミリシーベルトが許容範囲とされてきた。その半分を一日で浴びてしまうとはどのような作業環境なのか。

 事故直後、原発建屋の周りの瓦礫を撤去するのにロボットを使って行う予定だったが、故障のため手作業で行なった。
 清○建設の作業員で二週間で限度量80ミリシーベルトを浴びてしまったため、それ以上作業を続けられなくなった。

 ゼネコンによって限度被曝量は決められていてそれを超えない範囲での作業となる。

 「僕は自分の会社を守るためには来年も再来年も公共の仕事を引き受けなければならない。原発も造る段階から関わっているわけなんだけど・・・東電から助けてくれという話があった時に、断ったときに来年どうなるか!? 断ったときにお前ら良いとこ取りかということになる。仁義的にそんなことできないわけです。僕たちは会社を守るため、覚悟ができて行っている人間はまだ良いけれど、そうでない大手の社員なんかは嫌なんだけど断れない。人の良い人間行ってるんだけど、現場で精神的におかしくなって仕事終わって旅館でしくしく泣くんだ。そして飯も食わない。仕事で電卓持っても足し算引き算がてきなくなるような始末でね・・・」

 これが福島第一原発の作業にあたる人々の真実だ。放射線に対する人体の影響も計り知れない上に、精神的な苦痛によって追いやられていく。

 国は原発作業員の許容範囲を250ミリシーベルトに引き上げた。これがどれほど過酷な労働環境を生むのか。


 80ミリシーベルトを二週間で浴びた。これを一日あたりで計算すると、5714マイクロシーベルトという猛烈な被曝量になる。

 Yさんは0.5ミリシーベルト=500マイクロシーベルトを一日で浴びた時もあった。飯舘村長泥地区での毎時10マイクロシーベルトの場所でさえ、一日で240マイクロシーベルトになる。その倍を数時間で浴びていた事になる。

推するところ、原発作業員が作業にあたっていた場所は少なくとも20~40マイクロシーベルトという環境下にあった。そのため一日数時間しか作業することができない。

 尚、安全と呼ばれる待機所でさえ3.5マイクロシーベルトだったらしい。

 「原発の現場に行ってみてわかったんだけど・・・原発はやっぱりハイリスクすぎるわ。絶対安全ってことないもの。怖いよ。アメリカ、フランスの国旗が福島にあがっているけど、福島は良い実験場だわ」

 外国のメーカーが開発した特殊な機械が実験的に試されたが、結局は日本製が生き残っていると言う。日本の技術者は優秀だ。

 Yさんは事故直後に作業にあたっていたが、その後は限度被曝量に達したため、撤退を余儀なくされた。その後、体調を壊されたと言う。白血球が減少、造血細胞が著しく低下したらしい。恐ろしい。犠牲者は必ずでるだろう。

「防護服の中は+7度にもなる。心臓の下と脇の下に氷袋を入れて作業する。ゴム手袋は汗でばしゃばしゃになる。指はふやけて白くなる」


 従業員の家族に猛反対されながら、従業員は泣きながら原発に行くことを了承してくれたと言う。

 立ち入り制限ゲートで警邏にあたっていた警察の機動隊の隊員も、過酷な労働を強いられていた。なんと彼らはバスの中で仮眠してらしい。そのバスの中はどれぐらいの線量なのだろうか。決して低くはないはずだ。

 清○建設の社員で二週間で80ミリシーベルトを浴びた人も、東京に残してきた家族が住む首都圏を守るため命懸けの作業にあたっていた。事故直後は首都圏までもが避難エリアになるという危険性を孕んでいたと言う。

 決死の覚悟で作業にあたっていた原発作業員の彼らの口癖は、「生きて帰ろう」だった。

 原発には差別が付きまとう。私達は健康を損なってまでも、原発に頼らなければならないのか。確実に誰かが犠牲になるのが原発である。その原発を2030年まで動かすと言い切れる日本政府の精神状態はいかがなものだろうか・・・・。