相手の話を聴く
というのは、

自分の
限りある時間
限りある生命

その一部を、

大切な相手のために、
使うということなのです。

自分の生命を、
粗末に扱う人は

自分の生命に、
価値を持たない人は、

自分の時間も、
粗末に扱い、

自分の時間の、
価値も知ることはありません。

価値ある唯一無二の、
自分の人生、
自分の生命を大切にするなら、

時間の使い方も、
その密度も変わってくるでしょう。

同時に、
相手の有限の時間
相手の有限の生命を、

大切に尊重するなら、

共にいる時間の使い方も、
自ずと変わってくるでしょう。

時間に追われるのではなく、
時間を采配し、

怒りの感情が噴出するもっと手前で、
微細な感情に気づいている

そういう大人(おとな、たいじん)であったら、
周りの人たちも、

もっと呼吸しやすく
楽にいられるのではないでしょうか。

 

あなたが自分の感情を、

大切にすることで、

 

あなたが自分の時間を、

大切にすることで、

 

あなたの周りは、

秩序が取り戻されて、

暴走することなく

 

より快適になるでしょう。


そのような話を、
クライアントさんにお伝えすると、

今まで頑なに
否定していた感情が、

自分の内側に、
いてもいいんだとわかって、

嬉しいと同時に、
困惑されて、

「自分の感情が、
わからなくなったらどうしたらいいですか?」

と聞かれたので、

胸に右手をおいて、
その上から左手を重ねて、

私の大切な感情さん、

私の大切な感情さん、
 

あなたはいつも、ここにいる。

あなたはいつも、ここにいる。
 

あなたはいつも、

私の内側にいて、片時も離れない。

と唱えてくださいとお伝えしました。

自分の感情を見失いそうになったら、

 

職場の女子トイレに駆け込んで、
胸に手を当てて、小さな声で唱えて下さいと。

その方が女性だったので、

幸い女子トイレには、
個室が並んでいるので、
誰にも見られず恥ずかしくないでしょう(*^^*) と。

人によっては、

感情が、
肚にある人や、
頭(思考)にある人もいると思います。

今回のクライアントにさんは、
質問で「感情」という言葉を発した時に、
無意識に右手を胸に置く動作をしたので、
上記のようにお伝えしましたが、

肚にある人は、肚に手を置いて
頭にある人は、両手で頭を包んだり
額に手を置いたりしてもいいでしょう。

要は、身体的感覚で、
確認するということです。

 

心理学用語的には、

アンカリングするということですね。

 

感情がどこにいったか、

わからなくなったら、

 

感情がどういう状態か、

わからなくなったら、

 

手を置いて、

感情の所在地を、

確認すればいいのです。

 

そこにあるから、

どこにも行ったりしないから。

 

あなたの感情は、

あなたから片時も離れない

 

そばにさえいれば、

扱うことが容易になります。

 

手の届かない所にあれば、

暴走することも容易になります。

 

あなたがちゃんと、

感情の所在地を、

知ればいいだけなのです。

 

 

時間に追われることなく、

イライラすることのない世界では、

 

あなたが本来やりたかったことが、

もっともっと出来るでしょう。

 

楽しみです。

 

 

傾聴のレッスンや、
カウンセリングの勉強などをすると、

自分の「感情を脇に置いて」、
相手の話を聴く

相手の感情を聴くことを、
するのですが、

もう少し補足させて頂くと、

「感情を脇に置く」
とは、

自分の
感情を脇に置いて」
放っておく

ことでもなければ

自分の
感情を脇に置いて」
見ない

ことでもありません

ただただ
只管(ひたすら)

丁寧にそっと、

自分の
感情を脇に置いて」
片時も離さない

ことであり、

自分の
感情を脇に置いて」
微細な変化に気づき続ける

ことなのです。

そうすると、

怒りが噴出する
もっともっと以前に、

自分の感情の変化に、
気づくことができます。

自分の感情を
粗末に扱う人に、

相手の感情を
丁寧に扱うことは困難です。

自尊感情がなければ、
相手を尊重できないのと同じです。

心理学を少しでも、
勉強した人なら、

重々知っている筈なのに、
ミスリーディングが、

現場での混乱を招きます。

「え?

でも…。

そもそも大人は、
感情なんか、
持っちゃいけないんじゃないんですか?


会場から、
質問が飛び出しました。

またしても、

多くの大人が、
ミスリーディングされて、
いることがわかります。

感情的に
なることと、

感情を大切に
することとは、

全く異なった行為です。

感情を大切に
扱えないから、

コントロールができなくて
感情的に
なってしまうのです。

大人というのは、
自分の責任で、

自分の「感情」を、
正しく

誤用せずに、
扱える人のことです。

大人(おとな、たいじん)と、
小人(こども、しょうじん)との、
大きな違いです。

 

自分の感情から、

片時も離れてはなりません

 

感情を好き勝手に、

暴走させてはなりません。

 

自分の感情は、

他の誰でもない、

あなたのものです。

 

あなた以外の人に、

あなたの感情の責任を、

取らせてはなりません。

 

それがわかっていると、

相手の感情もまた、

相手のものであり、

 

相手の感情の責任は、

相手にあるとわかります。

 

相手の感情を

丁寧にお聞きした後は、

 

相手の感情を

丁寧にお返しすればいいだけです。

 

あなたが相手の代わりに、

相手の感情を引き受けることはありません

 

あなたには、

あなたの感情がそこにあるのです。

 

あなたの中に、

相手の感情の居場所はありません。

 

相手の感情の居場所は、

相手にあります。

 

あなたが勝手に奪う権利は、

どこにもありません


そして前回の、

最初の話に戻ります。

 

時間に追われると、
イライラして、
感情がコントロールできない
。」

 

そうです、

重要な時間と命の話です。


相手の話を聴く
というのは、

自分の
限りある時間
限りある生命

その一部を、

大切な相手のために、
使うということなのです。

 

(つづく…)

 

コンステレーションワークでの、

先日のクライアントさんの話を少し...。

 

※コンステレーション(配置)とは、

問題解決を見える化して解消する1つの手法



私のクライアントさんには、
職業、年齢、男女問わず、

様々な背景の方が、
いらっしゃいますが、

その中でも、
典型的なあるカテゴリーの方たち、

心理の勉強をし、
真面目熱心対人援助職の人が、

ある一定数いらっしゃいます。

長年に渡り、
こころの勉強をし、対人関係を学び

仕事にもしている人達なのですが、

その方達ですら、
べったりとくっついて剥がせない

思い込みの思考があります。

今回はそのような、
多くの人に見られる傾向として、

参考になればと、
ご紹介します。


時間に追われると、
イライラして、
感情がコントロールできない。

突如として、
怒りが噴出したり、

自分を、
極端に責めてしまう
。」

対人援助職についておられる
そのクライアントさんは、

職場での信頼も厚く、
仕事ができればできるほど、
時間は足りなくなってくるのですが、

それでも、
よりよいサービスを提供するために、
継続した質のいい援助となるように、
仲間との関係にも時間を割いて、

いるとのことです。

人間関係もいいし、
仕事も順調で、成果を上げているのに、

身体的不調も現れて、

怒りたいわけではないのに、
怒りがどこからか噴き出してしまう。

そうでなければ、
自分が悪いんだと、極端に自分を責めて、
ごめんなさいゴメンナサイと謝ってしまう。

というのです。

このようなケースは、
対人援助職に限ったことではないでしょう。

働き方改革とは無関係に、
どのようなポジションにいる人も、
心当たりがあるのではないでしょうか。

時間に追われてイライラする

これって、
よく耳にもするし、
その対処法も、
多く知られているはずなのに、

しかも、
そのクライアントさんは専門家でしょう?

と耳を疑いたくもなりますが、

誰かのために、
自分を犠牲にしてまで、

尽くそうとしている人達が陥る、
典型的な落とし穴です。


そもそも、
時間に追われるとは、

【自分の時間】
 =イコール
【自分の生命】を、

誰かのために、
何かのために、

費やして、
供給不全になっている状態です。

有限である、
時間を、

湯水のように、
無限にあるかの如く
誤認して、

使おうとするから、
起こってくる現象です。

「時間」=「生命」

時間に追われる人は、
時間が何者であるかを知らない人です。

「時間」=「生命」

時間は、生命そのものなのです。

このことは、
最後にもう一度触れます。

最も重要なことなので、
「時間」=「生命」については、
最後にもう一度触れます。


まずは、
具体的な例からお話しましょう。

そのクライアントさんが言うには、

同僚の話を聴いて、
心の負担をなくそうとすればするほど、

自分の時間がなくなってしまう。

ということです。

これもよく聴く話です。

私も20年以上前、
電話相談員のボランティアをしていた時の、

同僚の相談員たちからも、
よーく耳にしていたことでもあり、

話を聴く相手が、

同僚ではなく、
子供や家族に置き換えると、

私が25年前、
幼児教室をしていた時も、

15年前、
子育て講座をしていた時も、

お母さん方から、
子供や家族のために、

自分の時間がなくなって、
突然怒りが噴出する
というのは、

よーくよーく聴く話です。


そこで陥る落とし穴があります。

ちょっと心理の勉強をした人なら、
よくあることで、

教科書通りに、

自分の「感情を脇に置いて」、
相手の話を聴く

相手の感情を聴くことを
しているのですが、

ここに、
ミスリーディングが発生しているのです。

(つづく…)