とても淋しい。 | 関東からカリフォルニアへ。20年後にまた関東。

関東からカリフォルニアへ。20年後にまた関東。

リアル・スナフキンなライフスタイルがお届けする憩いのあれこれ。発信基地(アジール)はここ、憩いクリニック。


ヤッホー


吉祥寺の某所より帰宅。


急に、とても、淋しくなった。


いまの時代、
コトバはそこら中に溢れかえっていて

どれもこれもが
もっともらしさを纏ってる。

わたしのコトバだって例外ではなくて。

だからこそ

どこで何をいうのか
どこのコトバをどれくらい耳に入れるのか?

逆に

どこで何を言わないのか
どこのコトバからどれくらい距離をおくのか?

大切です。


どこで何を言わないか
どれくらい距離おくのか


正しい
間違い

時々ね、とても不自由さを感じて
そういう時はとても淋しくなってしまいます。

今がそんな感じ。


自分、社会、環境、そして政治経済や
人との繋がり、こころと身体の健康

当たり前だけど
真剣に考えて向き合わなければいけません。

それは前提として


前提としてさ、


ふざけてたっていいじゃない。
不謹慎でいいじゃない。

リラックス!

わたしのコトバは
そう続いてしまう。


まだ諦めてないドクター中松!


96歳になってもまだ立候補


ここまでブレずにずっと

クレイジーにフリーダム貫いてこれてる

経済的自立や世間の目を気にしない

自由人マインド


投票するかどうかは別。


だけども!!


ポスター見るだけで

毎日勇気もらえるわたしです。


こういう人はどんどん出て来て欲しい



引っ越したばかりで
選挙権ないんだけどね。わたし。



とても淋しい。


夜道を歩いていたら
友達からラインがきた。


!!!




淋しいけれども
それはわたしのアイデンティティだから

わかってもらえなくても
誤解されたとしても

そこはあえて引き受けよう。


ある意味では

わたしはドクター中松みたいになりたい。

なりたいのに
中途半端に常識人に化けようとしてしまう。


だけどもそれは
中途半端な煮え切らない常識人で
そんな人の口から出るコトバは
もっともらしさを纏った妥協のコトバだ。

そんな事やってても
自分で自分がイヤになる。


だからもうやっぱり、


淋しいけれど

変人でいいやと思う。

奇人は貴人です。


また明日