パーティが終わって、中年が始まる (感想1) | 関東からカリフォルニアへ。20年後にまた関東。

関東からカリフォルニアへ。20年後にまた関東。

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ヤッホー。
 
 
今日は、2ヶ月ぶりに美容院に行って
髪の毛を脱色してきました。
 
イメージの中では
もっともっととんがるつもりでいたけど、
もしくはフリーレンみたいにほぼ真っ白に
 
2ヶ月前に
けっこう強くスパイラルパーマかけてたので
流石に髪が持たないってな事から
 
黒髪に、けっこうな感じで、
白髪が混じった風に見えなくもない
 
それでもいい感じに派手になってきてるので、
再来月にはもっと脱色して
フリーレン目指したいと夢を見る。
しつこい
 
 
 
 
さいきん読み始めた本
 
パーティが終わって、中年が始まる
幻冬社 Pha 著
 
 
今日はその感想など。
まだ途中だけどね。
 
 
以下、幻冬社ホームページより抜粋
 
 
 
定職に就かず、家族を持たず、
不完全なまま逃げ切りたい――
 
元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス⁉  
赤裸々に綴る衰退のスケッチ
 
 
「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、
怖いものは何もなかった。
 
何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。
この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。

 

喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より
 

 
 
 
40歳半ばの彼が直面する中年クライシス、、
というか、

シャレにも娯楽にもなりゃしない、
ホンモノの喪失感とご対面。
 
本文の至るところに、
「加齢」の文字が出てくる。
 
著者のphaさん、
うちの夫と同い年だよ。
 
そして
40そこそこで『加齢』なんて、
 
7歳も年上のわたしは
一体どうしたらいいんだろう?
 
最初によぎったのはその想いだけど、
 
 
よく考えたら、
わたしもちょうど同じ様に
42歳で、人生初の、いわゆる中年クライシス
シャレにも娯楽にもならない、初めてのあの感じ。。
 
あったなぁと思い出した。
ちなみに夫にはそういったものは訪れない。
のちに触れるが、彼はそんなことは気にしない時空の生物である。
 


40も50も

小童。


神さまからしたら

どーでもいいわな。。。


 
当時わたしは
アメリカ在住だったので
年齢に関する世間体なプレッシャーは、
 
無くはないが、
日本と比べたら皆無と言っても過言ではない
という文化にどっぷり属していた為
 
周囲や社会から自分に入ってくる
年齢に関するあらゆる忠告や縛りや刷り込みから
完全に自由に暮らしていたから、
 
時々自分が何歳か忘れてたし
年齢なんてくだらないし意味ないし
そんなことにこだわるなんてつまらないなと思ってた。
 
それが
 
42歳になったあたりで
 
お酒を買う時IDを見られなくなったり
ツインテールが似合わないと自分で感じたり
夜中まで勉強出来なくなったり
当時は大学院に行ってた
 
今までと明らかに肉体的に違う自分
今までと同じ様にできない自分に
びっくりした。
 
いくつになっても、
辻ちゃんみたいなウエディングドレスが
自分には着れると思ってた。
だから結婚式とかやらなかったのだ
 
いくつになっても、
ミニのサンドレス羽織って
財布だけ持ってビーチまでチャリで行って、
知らない人に財布預けて
サンドレステキトーに放って
水着で海に走ってって
濡れたまんまチャリで帰宅出来ると思ってた。
 
でもフローズンショルダー(四十肩)になって
医者から五十肩だと言われショック受けた。
今どきは人の身体も若いので
昔は四十でなる症状だったが、
今は五十代の身体の変化で起きる症状と
定義が変わったらしい。つまり、もう四十肩は存在しない。
 
 
けっこう他にも
明らかな身体的変化や
身体の変化に伴う内的な戸惑い、
いろいろあってそれなりに悩んだ。
 
年齢で人を囲い込まないアメリカにいたのに、
わたしは年齢による(であろう)自分の変化に戸惑った。
 
クライシスの衝撃は
それなりの大きさだったということだ。
 
 
だけど、、、
 
あれからずいぶん時間が経ち
 
 
今のわたしに
同じような喪失感はない。
 
どうやって乗り越えてきたんだっけ?
 
 

 

 

大きなことで言うと

 

コンクリートや変化の早い

都会的暮らしから

少しだけ距離をとって

 

キャンプしたり

ハイキングを始めたんだな。当時

 

 

 

 
大自然ってわけじゃないケド
 
 
自然は
 
ずーっと同じだけど
ずーっと変化してて
 
自分が今の自分のままで
ただシンプルで居ることに干渉して来ない。
 
 
それからもう一つは、
 
言霊の力。
 
当時は、『言霊』なんていってなかったと思うけど
 
朝晩わたしは
鏡を見ながら自分自身に、
 
よし!今日も可愛いぞ!
 
そう声に出し始めた。
 
 
これは道重さゆみ師匠が実際やってる
自己暗示というか自愛というか。


アタクシも可愛いぞ。



 
 
大自然ってわけじゃないけど
自然の中に身を置くようにして
世の中の喧騒から意識的に距離をとったり
 
今日も可愛いぞ!って自分に毎日語りかけたり
 
そしてあとはね、
 
ずっと辻ちゃんみたいなドレス着れると思ってた自分

ツインテールが似合う自分が
永遠に続くような気になってた自分

夜中まで多少の無理させても
身体は出来て当然だと思ってた自分
 
なんて傲慢だったんだろうね〜って
気づいたのも大きかったな。
 
傲慢だったし
幸運だったと思う。
 
年齢の囲みも押し付けも何もない
本当に自由なアメリカの環境の中に
さらにアウトサイダーな外国人というポジションで
ウロウロとほっつきあるくことが許されてて
 
それは時には、
とてつもなく寂しくて
気が狂いそうに孤独だったりもしたのだが、
 
それでもやっぱり
 
やりたいようにやって
好きなように自分をコーディネイトして
 
なんか違うかも、、

そんな風に自然に
自分から気づくまでずっと
 
わたしはワガママに傲慢に自由に
子供みたいに我が物顔で、
ずっといられたんだから
 
 
もういいじゃない。
 
いまの自分を受け入れよう
これから変わっていく身体と伴走していこう
 
 
そんな風に少しづつ
変化していって今に至るんだった。
 
 


ニンゲンって

大変だね。


 
 
ちなみに第二のクライシスが
五十になってすぐにやってきた。
 
それは年齢というよりかは
長年住んだアメリカから日本へ帰国したことが大きな要因。
 
老いも若きも、
 
日本の人の多くが年齢で囲む。
自分だけではなく
他人のわたしまで巻き込む。
やめてほしい
 
”団塊世代” と呼ばれた時にはびっくりした。
うちの両親の世代のことを言います
 
女子らが、
自らのことを蔑んで

そういう会話が耐えられなくて
家に帰って泣いた。
 
夜中に熱を出したりした。
 
見ず知らずのお年寄りに
スーパーマーケットの自転車置き場で
あなたもわたしの歳になったら
あちこち悪くなるのよ!!って言われて
辻斬りかと思ったりした。
 
ひどいコトバで
自分を蔑んだり
 
見ず知らずの人に
呪詛を撒き散らす
 
 
そういうのは
話してる方はきっと悪気はなくて
無意識なのだろうが
 
聞いてるわたしには
重なり積もって
 
わたしは人に会うのがめんどくさくなってしまい
会っても最小限の発言しかしなくなった。

 
そこからどうやって立ち直ってきたんだっけ?
 
 
あ、
 
やっぱり同じだ。
 
人よりも自然の中に身を置いている。

『いま』に感謝している。
 
いま、ここで、こうしていられてることに。
 
愚痴も蔑みのコトバも会話も、
全部苦手だから参加しない。
 
 
結局のところ、
『いま』の連続性の中にしかわたしはいない。
 
『いま』は変化しながらもずっと続いてゆく。
それを大切にゆっくり伴走する。
 
 
この本は、
過ぎ去った『いま』の喪失について書かれていているが、
 
編集者さんは、著者に、
四十代の爽やかな喪失感として記録した方がいい。
五十代になって同じものを書こうとしても、
枯れ果てた喪失感になると思う、とアドバイスされたらしい。
 
一体世の中は
 
年齢に対してどんな思い込みを持っているんだろう?
想いって具現化するからね。

っとわたしには感じるが、
日本には昔から、「ボヤキの文化」もあるんだよね。

謙り
ボヤキ



 
 
夫に聞いた。
 
 
I don't care



の一言で終了した。
 
彼はかなりハッキリしたビジョンで、
こんな風に歳を重ねたい!ってのがあって
 
そこにいく道は、
いまここ。
 
日々のライフスタイルと
考え方や捉え方次第だと思ってるから、
 
自分に損になるような思考は
意識的に削除し続ける。
 
削除の方法は
無理にはねのけるとかじゃなくて、
 
楽しいこと
好きなことをやって
気分良く過ごす。

考えすぎない。

というシンプルなもの。
 
 
今回は、本の感想というよりか
『加齢』についての考察になっちゃったけど
 
本の中に流れてる
 
爽やかな喪失感
優しい虚無感
 
鴨川のほとりにかぜを受けて
諸行無常のバイブスと共に
鴨長明さんと座してるような
心地よさもあります。
 
 
でも長くなってきたので
別の機会に。