永遠のはて。 | 関東からカリフォルニアへ。20年後にまた関東。

関東からカリフォルニアへ。20年後にまた関東。

リアル・スナフキンなライフスタイルがお届けする憩いのあれこれ。発信基地(アジール)はここ、憩いクリニック。

 

 

久しぶりにCOSMOSを読んでいます。

学生時代に夢中になった本。

 

何十年ぶりのランデヴー。

 

COSMOS(下) カール・セーガン著 
pg.163  「10 永遠のはて」より抜粋

 

 

クエーサーのことを考えると
わたしたちは、深い謎に直面する。

 

だが、クエーサーが、
どのような爆発だったとしても
ひとつだけ明らかだと思われることがある。

 

それは、このような激烈な出来事は
聞いたこともないような大破壊を伴うということである。

 

クエーサーの爆発があるたびに
何百万という世界が完全に破壊されるだろう

 

そのような世界のなかには
生物が住んでいる世界もあるだろうし
何が起こりつつあるかを理解している

知的な生物のいる世界もあるだろう。

 

銀河の研究は、

宇宙の秩序と美とを明らかにした

 

しかし、また、それは


これまでに想像もされなかったような
激烈な大混乱をもわたしたちに見せてくれた。

 

 

わたしたちは、

 

生命の存在出来る宇宙の中に住んでいるが、

これは、まことに素晴らしいことだ。

 

 

わたしたちはまた、

 

銀河や恒星や世界を

破壊してしまうような世界に住んでいるわけだが、

それもすばらしいことである。

 

 

宇宙は、友好的でもなければ
敵意を持っているわけでもない。

 

 

わたしたちのような
取るに足らない生物のことなど
気に留めていないだけである。

 

 

 

 

 

 

『永遠のはて』

 

この章が昔から好きですが

読み返してやっぱり、今も好き。

 

静謐なこころになります。

 

誤解を恐れず言ってしまうと

神様の領域を少しだけ感じるような

強烈な癒しと心地よさを感じるのです。

 

 

見たこともないような美しい銀河

何千億光年の彼方に存在する完璧なハーモニー

 

それから

 

強烈な放射能やガンマ線を放出し

自らを死に追い込む惑星

 

硫酸の雨が降る惑星

 

銀河に惑星が突っ込んで

その引力のために形が歪められた銀河は、

筋腫を患った子宮みたいだ。

 

宇宙は果てしなく

美しく、そして、混乱を極めている。

 

 

私たちも

そんな宇宙の片隅の

そのまた端っこの、小さな小さな星に住んでいる。

 

ありがたいことに

 

地球の環境は穏やかで

安定した暮らしができる。

 

硫酸の雨は降らないし

高濃度放射能が大気圏で爆発することもない。

 

だけども

この地球のどこかで、

 

ミサイルの雨が降り続け

わざわざ人工的に、

放射能の爆発を起こし大惨事を起こしたりする。

 

 

それら全てからあえて

『いい』『悪い』 を外してみる。



瞬間的に引っ張られる強い感情爆発に

まかせない。


何故ならもう

わたしたちの判断にはバイアスがかかってるから。


感情ムキダシのまま走るのは

宇宙そのもののようでいて

宇宙のもつ美しい秩序の真逆でもある気がします。



壁一面のメキシコ的カトリック宇宙



 

美しい秩序がある世界は『いい』のか?

 

それは私にとっては、『都合がいい』だけじゃないの世界観ではないか?

 

私にとってはいいけれど

どこかの誰かは泣いてないか?

 

 

戦争はいけない。

争いはいけない。


じゃあ日本社会の集団圧力や働き方は?

そのストレスからくる障害や犠牲は?



 

でも株価は上がってる

経済は回さないといけない?

 

電力は?

生活インフラは?

 

食料は?

 

みんな、自分の食べるもの、自分で育ててる?

 

多分、違う。

 

 

じゃあ、ぜんぶ『悪』なのか?

 

 

ああ、頭がお花畑すぎるだろう。

短絡的すぎるのだ。

 

こんなこと言ってる間に

光は何光年進んでったんだろう?

 

 

 

『正しさ』を追求すると

その永遠のはてに待つものは、

『破壊と無秩序』な気がする。

 

宇宙のはて

 

COSMOSを読んでいるとそう感じる。

 

 

宇宙は友好的でもなければ

敵意を持っているわけでもない

 

博士が言うように

もしそうなら、

 

勝手に意味と解釈をつけて

感情的になってるのは人間で、

 

その勝手な思い込みが

あらゆる争いの火種や束縛になってるわけで。

 

 

ニュートラルな宇宙空間の中に

いま一瞬を生きるわたしは

 

永遠を生きている

 

永遠の連続性の中にいる

 

ここにあるのは

完全なる自由意志。


自由なわたしは

感情とは少し違う、情緒豊かに暮らす。


なるべく自然の多いところに暮らし

そうすると見えてくる

美しい秩序に身を委ねる


なんかいいなぁ〜


人や世間との価値観の比較じゃなくて


わたしが感じる

なんかいいなぁ〜。


自由を大切にする

 

 

だって宇宙は果てしなく

友好的でもなく

敵でもなく

私のことなんて構っちゃいないんだから。

 

 

自由

 

 

宇宙に生きるわたしを思うとき、

自由と永遠のときを感じます

 

 

 

それは、とても、神さまに近く

わたしは静謐で安寧に包まれて

 

憩いちゃんなのです。

 

 

また明日