舞台「僕はまだ死んでない」

博品館

2月28日で千秋楽。無事幕が開いて閉じられてよかった。

26日、27日とみてきました。

忘れないように内容と、思ったことをつらつらと。

まとまってないです、散文です。

セリフはうろ覚えですので多少違います。

 

 

 

脳幹卒中を発症し、手術は成功したものの、ほぼ目しか動かすことができない主人公、白井直人。

終末医療についてどう思うかを考えさせられる。

金銭的な問題は考えない。劇中でも「保険とか何とかでその辺(お金の問題)は大丈夫なんだ」、って言われるのでただ純粋にこれから治療をどうしたいのかを問われる。

 

主張がはっきりしていて、自分はどの演者の意見にあてはまるだろうか、というのが選びやすかった。

幼馴染の児玉碧(みどり)は、「せっかく独立した直人が絵が描けないなら死んだも同然、何とか回復しないのか」と詰め寄ってみたり。

それをきいて直人の父の慎一郎は「おいおいじゃあ死ねって言うのか?ひどいよな~」って

当事者なんだけどとても飄々と、柔らかく接する。

医者の青山樹里先生は「どういった治療をするのか、全部をしてあげないといけないというわけではない。どこまでしてあげるのか、考えてほしい」と。

でもこれは医者の立場からのコメントで、

実際、彼女はもし自分が当事者なら「できることをしてあげて、もし可能なら、少し戻ってあげたい」と言う。

それは、人工呼吸器をつけてももうだめだったら、その器具を外してあげたい、ということ。

それは日本の医療ではできないことなので、仮定の話だけど、本音はこっち。

妻の朱音(といってももうほぼ離婚成立)は、「立場とか誰がどう面倒を見るとかそういうの全部抜きにして、できることすべてをしてあげたい。人工呼吸器をつけてでも。それが何年続くとしても。」

 

どれも正解でも間違いでもないと思う。

日本では安楽死は認められていないので命を故意に落とさせるということはできない。

その議論についても「この議論についてはこの国は逃げてしまっている」という青山先生のセリフがあるので、もう一度、というか何度でも議論すべき問題であると思う。

死は誰にでも訪れるし、自分だけでなく周りでも起こる事。

 

 

冒頭に碧が、「じゃあもう絵は描けないんですか?」のセリフで慎一郎と朱音は顔を見合わせる。

二人にとっては、直人が『生きている』だけでいいんだなと。

碧くんは何を言っているんだこの状況で、くらいな気持ちで顔を見合わせていたと思う。

碧は、生きていることの上にさらに人間であることというか『絵を描く』こと、

それができないなら生きていても意味がない、と思っている。

 

最初から最後までこのお話。重たい?(笑)

でも一時間半ずっと同じ話題で頭の中真剣に考えられて、悲しいけど気持ちがいいくらいだった。

 

私はずっと碧の気持ちと同じになっていたので、そうだよなもう動けないならいっそ、

でもだからといって息をしているのに死ぬのを待つ行為ができるものなのか、とも思う

でも呼吸器付けたら一生そのままかもしれないなんてつらい…

って延々考えていた。

そして碧は、血縁者じゃない。言ってみれば部外者。

幼馴染だったからと終末医療に関して何か言えるわけではない。

それがまた別の角度から悲しかった。これからの自分に重なりすぎる。

 

朱音も、「なんとなく、適当に生きててくれたらそれでよかったのに」みたいなことを言う。

本音はそうだろうな、とてもリアルだなって思った。

離婚した相手が閉じ込め症候群でずっといるなんて、自分が悪いわけでもないけどどこかに呵責感じるもの。

 

 

直人は、3人にそれぞれ思いを伝える。

お父さんが直人に話してるときは涙を流していた。

どうしたい?いつまで生きたい?って聞かれて泣いていた。

 

碧には、目で文字を追って短く伝える。

過去に二人で水路に迷い込んだ錦鯉の命を直人に奪わせたことを思い出させて

「みどりのばん こい うめて」と

ただ息をしているだけの僕を殺してほしいととれる思いを伝えた。

 

朱音には数日かけて目を使って伝えたものをノートにかいて渡してもらう。

助けてほしい、という内容。

こちらは、なにもできなくても、ただ生きていたいととれる思いを伝える。

 

結局、答えはこの舞台では出ない。

まだ直人は意識が戻ったり戻らなかったりで意思が伝えられたりそうじゃなかったり

最後はまた目を覚まさないようになっているようだったけど。

きっとまたどうするんだって、碧と朱音で喧嘩するんだろうなと。

伝えられていること真逆だし。

お父さんがまた揉めないでよーって言うのかな。

 

 

 

原案・演出のウォーリーさん個人の考えかなと思ったところがひとつ。

人の死ということについての感覚がちょっと違うんだろうかなと。

直人は自分が目覚めないでいる状態のことを、

「ラードみたいなこんな体の中に閉じこもるんじゃなく。

世界とひとつになるような。溶ける。」

みたいな表現をするんだけど、それはそのままウォーリーさんの考えかな?と思い。

前に見た『プラネタリウムのふたご』という舞台でも、

マジシャンをしていた双子の兄が子どものいたずらで死んでしまうんだけど、

弟が変装してなりかわり、原因となってしまった子どもの所に行き、

「僕は今から魔法を使って、水になるんだ。世界中を回って、雲になって雨になって…」

って嘘をつく。死んでしまったのは嘘だよ、きみは悪くないよって思わせるために。

 

人としていることよりも、空気や水になってこの世界にいるほうが自然なのかなと。

直人はこの後、アウトプットができないままならもう殺してほしいみたいなことを言うんですけど…

そこに行くまでの、水や空気と一つになっていればそれでだいじょうぶ、みたいな気持ちは、

個人的にそういう考えがあるのかなと思いました。

『プラネタリウムのふたご』は、原作はいしいしんじさんなのでどちらの気持ちでこういうセリフだったのかはちょっとあとで原作読んで探します。

原作ままなのかな…

 

上手く伝えられないけどそんな印象を受けました。

 

 

 

あとこれも個人的に、役名に色が使われていて何となく調べて思ったこと。

 

白井直人

白井朱音

娘モモ(舞台には出てこない。名前のみ)

白井慎一郎

児玉碧

青山樹里

 

娘の名前は白+赤で桃色なんだろうと思ったけど

離婚して苗字変わるのかなとも思ったけど

でも父と母の関係は変わらないんですって主張してたので桃色は変わらないんだなと思った

 

 

青と碧と朱

碧は、青緑色のことなので、色相環で反対側の色。

青緑と赤は補色の関係。

ここは意見が交わらない相対してる構図が分かりやすくなってるのかなと思った。

青山先生も、個人的には無理に延命したくない派なので青色の名前なのかなーと。

樹里も緑に近いし。

 

 

光の三原色は赤、緑、青

その三つの色を重ねると白になる

全部の意見を聞いて、どうしたいんだろうねって優しく聞いてあげるお父さんの色になるのかなって思いました。

 

全然うまく伝えられない(笑)

 

 

どこまでを、「生きている」と判断するか

もし自分だったらどうするか、どうしてもらいたいか

いつかやってくる問題にちゃんと向き合っておかないとと思いました。

遺書、いるよね…自分らしく終わるために。

 

 

ちなみに脳幹手術は大変難しいらしいのであの先生すごい人と思いました(笑)

 

あと、ロックドインシンドローム(閉じ込め症候群)って言葉を初めて聞いたなと思った。

昔って、植物状態とか言ってなかったかな?と。

意識があるけど伝えられない状態のことは昔からこういわれていたんだろうか…。

 

友達といるのになんだか無言になって考えてしまう二日間の観劇でした。