8月15日は終戦記念日。戦後79年。


今、ここで平和であることの意味を考えています。
 

 特攻隊員の遺書や写真


6月末に鹿児島県の知覧特攻平和会館を訪れました。

 

お茶処として知られる知覧は、特攻基地となった場所でもあります。

 

平和会館には、特攻で命を落とした特攻隊員の写真、出撃前に家族や恋人、友人にあてた遺書約250点や手紙、遺詠が展示されていました。

(知覧特攻平和会館HPのデジタルアーカイブページより)

 

 

 

どんな思いで書いたのでしょう。

絶筆に対峙すると、
自然と涙があふれてきます。

 

 最後のあがき、「必死」の作戦

 

戦争末期、連合国との戦いに敗れるようになった日本は、防衛最前線の沖縄を守るため、最後の手段として特攻作戦を始めました。

特攻とは、文字通り「特別攻撃」という作戦のこと。
重さ約250kgの爆弾を積んだ戦闘機で敵の船に体当たりし、沈没させるのが目的です。

つまり、パイロットは必ず死ぬという「必死」条件の作戦でした。

 

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 高校生や大学生年代、439人

 

特攻の時期は、1945年(昭和20)3月26日から7月19日まで。

この4カ月間に、連日のように特攻基地となった知覧飛行場から沖縄に向けて出撃し、439人が命を落としました。

17歳から32歳、平均年齢21.6歳。
今の高校生や大学生と同じ世代の人々です。
学生や小さな子どもがいるお父さんもいました。



 

知覧特攻平和会館で購入できる上記書籍にも、
散華した特攻隊員のことが詳しく書かれていますが、
表紙にも使われている「出撃前に子犬を抱いた特攻隊員」の写真。

 

このやわらかで朗らかな表情の数時間後に、出撃です。

 

5人のうち2人が18歳、3人が17歳という若さでした。




さぞかし、無念だったことでしょう。

生きていれば、輝かしい未来が待っていたはず。

しかし、時代が時代。
出撃することが是であり、名誉であり、
指命だと思うしかなかったのです。

この1カ月後に終戦となるのですから。。。
なんて馬鹿げた作戦。。。
言葉になりません。



 

 若者にも響いた映画「あの花が咲く丘で-」


昨年ヒットした映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」

 

 


特攻隊員を描いたストーリーに、
戦争とは何なのか、
今の若者たちも感じ得るものはあったと思います。

今、私たちが生きていることは当たり前ではない。


過去を学び、二度と同じ過ちを起こしてはなりません。



とはいうものの、
世界では争いが続いています。

先のパリオリンピック期間中も、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの爆撃は続き、戦火は収まる気配はありません。

 

 卓球早田ひな選手も行きたい場所

 

パリ五輪女子卓球シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひな選手が13日の帰国記者会見で、行きたいところとして、アンパンマンミュージアムとともに、知覧特攻平和会館を挙げていました。

 

影響力のある人のコメントは

大きな渦を巻き起こすかもしれません。

 

足を運べば必ず心は動きます。  

終戦の日に、平和について少し考えてみませんか。

世の中が穏やかな状態で、安心して暮らせるようになることを願うばかりです。