天の香具山と聖徳太子は関係がないだろう、さすがに。
と思っていたらおられました聖徳太子。
興福寺(八釣地蔵尊)
585年に、物部守屋(もののべのもりや)が仏法を嫌い、
飛鳥の「橘寺」(たちばなでら)に火を放って焼いたとき、
金堂に安置してあった地蔵菩薩が、
火から香具山(かぐやま)の頂上に逃れて行き、
それを知った聖徳太子が香具山の山麓に寺を建立して
地蔵を祀ったと言われています。
また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう
御夢想の名灸があり、リウマチや神経痛などに良く効くそうです。
聖徳太子誕生の地と言われている
橘寺。
天の香具山の次に、
行って参りましたが
「聖徳太子」生誕の地
という理由だけで行ってきました。
今日改めて調べなおしたら
「八釣」さんとも関係がありましたか。
私に来ていた昨日のミッションは
香具山→橘寺
そこをコンプリートしたら
OKという感覚が来ました。
なるほど。
橘寺から逃れてきた
八釣山地蔵尊とは
何者なのか。
さらに調べると、
「八釣」の地名は、中世まで「やとり」と呼んでいたことが文献に残っているとされています。
この「やとり」は古代の職業名の漢織(あやはとり)を簡略したものだという説があります。
香久山の南北に「八釣」と呼ぶ地域があり、
朝廷の衣裳を縫っていた人々が住んでいたことがわかっており、
この地域の北を「下八釣」と呼んでいたとのことです。
(「かしはら町名考」より)
あやはとりとは
池田には応神天皇のころ、大陸から呉織・漢織の2人の織り姫がこの地に渡り、
織物や染色の技術を伝えたという伝説が残っています。
つまり、朝廷の衣裳を縫う人々のことですね。
天の香具山が登場する有名な短歌に
衣が登場するのには、こういう理由があったのですね。
短歌と言えば気になるのがこちらの句。(長歌ですね)
原文こちら
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜■(りっしんべん+可)國曽 蜻嶋 八間跡能國者
古代の人は言葉に複数の意味を込めているから・・・
真に伝えたかったことは何なのか・・。
鴎と原文の龍が気になるところです。
鴎は残っていませんが、
橿原には「鴨」は残っています。
「鴨公」という地名。
まさにわが子は鴨公小学校へ通っています。
話があっちこっちへ飛びますが・・・
藤原京に、神社はないと思っていたら
「鴨公神社」がありました。
そこにあるけど、目に入らないものだらけだと気づく今日このごろ。
話を戻すと、
八釣地蔵尊とは、
あやはとりのお地蔵さん?
謎解きは続く・・・。