湯島 旧町名案内 です。
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湯島
(昭和40年までの町名)
説明板となります。

湯島
(昭和40年までの町名)
湯島の名称は古く、『和名抄』には湯島郷(また由之万)とあり、『北国紀行』には由井島とある。
名称はむかし温泉がわいたからともいわれるが、これは疑問である。不忍池は海で、湯島の台地は島のようであったろう。
聖堂や昌平黌があり、明治には師範学校がおかれ、近代教育の発祥の地となった。
文京区

こちらが、湯島 旧町名案内 説明板となります。

全体的な構図。
恥ずかしながら、硝子に映ってしまった小生の姿…
一見してネクタイでもぶら下げているように見えますが、違います!!
NoNoNo!!
ただのタオルハンカチでございます。
猛暑ではなかったかも知れませんが、湯島聖堂を観て回っただけで汗だくです。
いや、実は神田明神を詣でた後の締めの撮影を先にブログ記事にしたのです。
時刻は14:07頃となります。
道理で暑い筈だ!!
ちなみに、気象庁ウェブサイトで、
過去の気象データを閲覧しますと、
2024年8月22日14時は、
北の丸公園の値ですが、気温29.6℃ 湿度84%
となっています。
猛暑炸裂ではなかったですが、雨上がりで湿度が高い!!



旧町名案内
旧湯島 (昭和40年までの町名)
『和名抄』に、武蔵国豊島郡湯島郷とあり、また由之万ともある。また『北国紀行』に由井島とある。
『文政町方書上』には、湯島の名称はむかし温泉がわいたからとあるが、これは疑問である。不忍池は海であったから湯島は島のようであったことは考えられる。
旧湯島1丁目から6丁目までは、中山道の街道筋として古くから開けた古町である。古町とは寛永年間(1624〜44)までに開けた町で、新年には将軍に目通りなどの特典が与えられた。
旧2丁目には湯島聖堂(現存)、隣の旧3丁目には昌平黌があった。明治になると師範学校、高等師範学校がおかれ、ここは近代教育の発祥の地となった。
文京区
以下、おまけの画像です。
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道路の向かい側には、湯島聖堂が見えております。
湯島聖堂と道路を隔てて、神田明神の鳥居⛩️があります。
多分、『湯島 旧町名案内』説明板も、神田明神の鳥居⛩️の傍だったかと思います…
もう、記憶は定かではありません。

今回はここまでです。
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