私と母の昔話 (大した話じゃないです


母が24歳の時に私を産んでくれました
貧乏な家に生まれた私。
月35,000円のアパートに家族5人で暮らしていました。

水洗トイレが当たり前の時代に『汲み取り式』。
玄関の鍵は壊れてていつも裏口から出入りしてて
水道からお湯がでる仕組みはなく、お風呂にシャワーもなく。

小学生の頃、友達に家がバレるのが嫌でわざと遠回りして、小道の塀を乗り越えて登下校したり。

『電話している絵を描く』なんて授業があって、
隣の男の子はコードレスの電話書いてるけど、うちの電話は黒電話のダイヤル式。
どうしても嫌で、ダイヤル部分をプッシュボタンに変えて描いちゃった(笑)


中学の部活で顧問に、『お嬢様みたいにやってんな!!』って何度も怒られたけど
その後の家庭訪問で我が家に来た顧問(兼担任)は、その後は「お嬢様」って言わなくなりましたニコニコ
(実はお嬢様じゃなかったから??)


高校生の頃は公立高校の授業料が未納で担任に呼ばれたり
部活のユニフォームやジャージを買いたいなんてとても言えなかったなぁ。



いつも貧乏で、母なんか自分の服も靴も全然買わなくて
朝から晩まで育児と仕事に追われてて・・・



それでも、小学校の音楽発表会では可愛い服を私に着せてくれたし
髪を前の日に三つ編みして寝てソバージュにしてくれましたキラキラ

部活も6年間続けさせてくれました。

修学旅行にも行かせてくれました新幹線

卒業アルバムも買ってくれました本

母はいつも笑顔でしたキラキラ



母はすっごくすっごく苦労して私達3人を育ててくれました。
大人になってから一緒に飲みに行くと、酔いが回った母はよく昔話を始めて涙ぐんでましたニコニコ

そして最後にはいつも
「子供は私の宝物だから」と言っていました。



だから・・・ほんとはもっともっと長生きして・・・
ゆっくり楽しい時間を過ごして欲しかったな・・・