緩和ケア科を受診してから、入院を何度か勧められました。
ベッド数に限りがあって、急に入院したくなっても入れるかわからないから・・・との事でした。
 
でも、母はあくまで回復するつもりでいましたし、今までと変わらない生活を望んでいたので、
入院することは断っていました。
 
「入院するメリットはありますか?」と緩和ケアの先生に聞くと
「正直・・・あまりないですよ。ただ、24時間看護師がいるので安心な事・・・あとは家族の負担が減る事」
と仰いました。
 
 
入院を断ると、今度は介護保険の申請をするように強く勧められました。
病院と繋がりのあるケアマネージャーさんがすぐにやってきて、介護保険のメリットを説明してくれました。
 
母は面白くなさそうでした。
介護のお世話になるつもりはないのです。
元通り生きていくことを目指しているのに、そんな事は考えたくないのです。
 
 
それでも母が申請することに頷いたのは・・・
きっと自分の為ではなく、私の為だったんだと思います。
私が朝早く来なくてもいいように・・・子供の為に時間を使えるように・・・
 
 
区役所へは私一人で申請に行き、後日調査が入りました。
日常行動がどの程度一人でできるのかを、実際の行動と話でチェックされます。
特に聞かれたのは、トイレの事です。
「一人で歩いて行けますか?」
「ズボンや下着は脱ぎ穿きできますか?」
「便座から一人で立ち上がれますか?」
「拭くのはどうしていますか?」・・・・・・・・
しつこくしつこく聞かれます。
 
トイレが自分でできるかどうかが、介護認定の階級に大きく関わってくるからだと思います。
 
この調査・・・正直つらかったです。
母も私も。
 
 
母には、『要介護3』という認定がおりました。
これは、認知症で施設に入っている祖母よりも重い階級でした。
余命宣告後の申請でしたので、通常は1ヶ月以上かかる所を、かなり早く通りました。
 
 
 
母はいつもリビングで一人掛けソファーにもたれていました。
肝臓がかなり悪化していたので、平らに寝ると横隔膜を押し上げられて息がしづらい様でした。
そのため、普通のベッドに横になるよりもソファーがの方が楽だったようです。
 
ケアマネージャーさんには、介護用ベッドを何度も勧められました。
購入するとかなりの金額ですが、介護保険を使うと、月々2~3000円位で借りられるようでした。
 
それも母は断り続けました。
リビングに介護ベッドを置いて、家の中が病院のようになってしまうのは嫌だと言いました。
 
立ち上がりに便利なもの、トイレの手すり、車いす・・・色んな商品を勧められました。
一つも借りませんでした。
 
ヘルパーさんの派遣や介護タクシーも勧められました。
でも、別に望んでいませんでした。
部屋の掃除をして欲しいわけではない、ご飯を作って欲しいわけでもない。
タクシー使って買い物に行きたいわけでもない・・・。
 
唯一毎日必ず誰かにやってもらわなければ困る事は、
リンパと火傷の傷の手当でした。
ジュクジュクしたリンパを綺麗にして、火傷の薬を塗って、ワセリンを塗って
パッドをあてて、大きな包帯を巻く・・・
1日でも交換をしないと、体液の様なものが漏れてきてしまうのです。
 
この、一番大切な事・頼みたい事・・・ヘルパーさんには出来ません。
看護の資格がないので、処置をお願いすることはできないのです。
 
 
 
結局、介護申請をした所で、母の望むことは何もありませんでした。
一度もその保険証を使う事はありませんでした。
 
 
 
 
介護認定・・・・・・
末期の患者が出来るだけ最後の時間を楽に過ごせるように・・・
その手助けになる物や人を紹介してくれて、安く提供してくれる・・・
 
有難い事かもしれません。
 
でも、母も他の末期患者の方も・・・治すために治療を受けたり努力したり、
生きる事、元に戻る事を目指してきたはずです。
少し前まで当たり前に出来ていた事が出来ないのはつらいです。
それを忘れて、『出来ない事が当たり前』にされてしまうのはもっとつらいと思います。
 
おかれた環境や自身の状況を受け入れる事ももちろん大切だと思います。
でも、まだ受け入れられない患者の心を無視して『介護』押し付けるのは・・・優しくないと思います。
 
 
便利グッズを勧めるだけじゃなく・・・その人がその時本当に求めているもの・・・
『本当の心』を見てもらいたいなと思います。