放射線治療によって骨の痛みを緩和する事ができました。
それと同時にさらなる放射線治療が始まりました。
腋のリンパに対する照射です。
 
なぜ母はこの治療を受けたのか・・・
 
これは・・・母の意志・・・とは言い切れない部分です。
 
当時、骨の痛みは緩和したものの、乳癌のあった左側の腕に痛みと麻痺が起こっていました。
痛み止めも効かず、一日中痛み・・・それが日に日に悪化していきました。
左手首より先は殆ど力を入れることが出来ず、グラスを持つことも出来ませんでした。
 
 
放射線科の医師は、次から次へと放射線を勧めてきます。
気になる所にはすべて放射線をあてようとします。
放射線の魔力に取り憑かれているかの様に見える程でした。
 
副作用や治療における痛みや苦しみを訴えても、「はいはい、大変ですね」
「皆さんそうですから頑張ってくださいね」と言った具合でした。
 
 
抵抗はありましたが・・・骨の時の様に効果が現れれば・・・!腕の痛みや麻痺が無くなれば・・・!
という期待を込めて、さらなる放射線治療を受けることにしました。
 
 
ただ・・・・・・・・・
その回数35回。
2か月にわたってひたすら毎日病院へ通う事になります。
お盆もなく・・・休めるのは土日のみ。
間を開けてはいけないとの説明でしたので、言われた通り毎日通いました。
 
 
実際には・・・あと2回を残して、治療は打ち切りました。
私が「もういいにしよう」と言いました。
今思えば・・・もっと早くに私がやめさせてあげれば良かったんだと思います。
弱音を吐かない母が、「ツラい・・・」と言い始めた時に、思い切って放射線を打ち切れば良かったと
心底後悔しています。
放射線科の医師の言いなりになって、35回もやる必要はなかったと。
 
 
効果は・・・少しはあったと思います。
左手首より先の麻痺が少し改善され、左腕全体の痺れも少しは減った様でした。
 
ただ・・・・・・放射線治療を打ち切ったあと間もなく、母は歩けなくなりました。
肝臓が一気に悪化したからです。
同じ頃から顔面麻痺も始まりました。
また、放射線による火傷も酷いものでした。
胸から背中まで・・・皮はめくれ、皮膚の下が見え、少しでも触れるだけで激痛がはしりました。
 
放射線科の医師は、それでも尚
「今度は頭のCTを撮って、出来るだけ早急に頭部へ放射線を!」と勧めてきました。
断りました。
母も半分泣きながら「もう無理なんです。」「病院から離れたい。」と告げました。
 
それ以来、母は放射線科へは行きませんでした。
呼ばれた時や火傷の薬をもらう時には私一人で行きました。
 
 
医師に患者の痛みはわかりません。
 

放射線打ち切りから1ヶ月弱で母はこの世を去りました。
副作用による激しい火傷の痛みは最後まで消えることなく……
何のための治療だったのか…
治療と言えたでしょうか…

母にとって、放射線治療による代償はあまりに大き過ぎました。