後ろの70年史 第十九回 

あすは七夕、織姫彦星は出会えるのか。

まあそういう話をするのではなくて、出会いの話をしようかと。

男女の出会いということでなく人生の中で出会ってどんな影響を受けながら成長してきたかという、そんな話を。

そういえば話が横に外れるけど。

ここ数年小学低学年の子どもが下校時に笹を持って歩いてるのを見てない。

最近の学校では工作の授業で笹飾りを作ったりしないのか、それとも学校の中で笹飾りを作って七夕をしているのか。

どうなんだろうねえ。

おれかお子様のときは笹飾りを家に持って帰ったもんよ。

お客さんはこれまでの間に多くの人と出会ってきたと思うけど。

どれだけの人生を過ごしてきているのか分からんけど。

そんな出会いの中で影響を受けて大きな変化というか成長の節目が、思い返せば何度かあったでしょ。

おれもこれまでの間に何度かあったよ。

人生の中でもっとも変化に対して柔軟に対応できるのが、思春期から25歳までの中にある。

中学高校大学というように、学校が違えば顔ぶれも変わってくる。

そうやって人との付き合いの中で価値観や知識風土や習慣などが互いに影響しあって強度な成長の節目がてきあがってくる。

おれなんかわよ、中学のときから25歳までの時間は環境を変えて変化していく大きな成長を目指して、他校へ進学することに。

そう考えていて実行したんですわ。

以前にもここで話しているけど、おれは盲学校にいて、何も他校へ進学なんてしなくてもいいんだけどさ。

特別支援校って、小学中学高等部と一つの中で過ごして社会へ出る。

特別大きな問題はないけど、おれわそういうのが受け入れられなかった、ていうか、ダイナミックな変化か欲しかったんだわ。

そんなわけで中途失明の方達が社会復帰のための学校を選んだ。

そりゃあねえ公立の学校とは校風がえらい違い、当たり前だだわな。

でも、そういったことがおれにとっての大きなチャレンジだったと。

ここでの経験が後の出会って変化していくおれを築き上げてくれた場所。

業界へ入ったそこでも影響しあって友達ができる。

しかし10年も過ぎるとそこを離れて別の業界へ。

そこでも影響しあった友達ができる。

そうやって今のおれがいるわけよ。

とはいっても社会人となっては学生の頃とは違って、同じ土俵で付き合えるとは限らない。 学生のように同じ土俵で付き合える時間は貴重な時の中なのであるよ。

それがたとえ一度社会に出ていても社会復帰のための学校であっても同じ土俵で付き合えるのよ。

そういう時をどう過ごすかで成長の度合いが決まってくるものや。


成長は、他力でなくて、自力やで。

心の一句。

まあこんなところで、おひらき。 

今だから言えること

 

 

 

 

 

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