後ろの70年史 第十回 
ひとまずさよならアマチュア無線の話。
前回は無線免許の取得での話でした。
今回は、無線局運用の話でもしようと、じゃあ始めますわ。
78年12月20日に無線局免許が届き、コールサインがおりた。
JL1⭕️⭕️⭕️だった。
受け取ったときはなんか変な並びのコールサインだなって。
それもCQCQこちらはJL1⭕️⭕️⭕️なあんてことをくる日もくる日もやり続けていると不思議なもんで、そんなコールサインも馴染んできてね。
少しずつ無線で遊ぶことが面白くなってきた。
なんといっても79年頃といえば、サイクル21だったかで、ことのほか電波環境がよくてね、当時持っていたナショナルのRJX601という50メガの無線機で弁当箱ほどの大きさでホイップアンテナ一つで埼玉と福岡で対等な更新ができたんですわ。
もしかしたらサイクル22だったかもしれない。
太陽の黒点の数が多くなるときがサイクルいくついくつなのであるよ。
おれわそんな無線機での更新で完全にはまってしまったんだねえ。
なんてったってさ、送信出力が300ミリワットで交信できちゃうんだもん🤯 
そんなこんなで145メガ帯の無線機を使っては深夜遅くまでローカル局とだらだらおしゃべりを。
こんなことを2 3年やってたかな。
熱し易く冷め易いおれわよ、突然マイクを握るのをやめてしまった。
そうこうしているうちに無線局免許の書き換えがやってきて、とりあえずは再免許申請をすませるが、そのつぎにやってきた書き換えを怠ってしまい無線局免許は失効してしまう。
だから、おれの45年の無線歴は5年間の空白があるんだな😭 
お客さんは知ってるかなあ。
映画で私をスキーへ連れてってというやつ。
実はね、この影響がアマチュア無線界にブームを引き起こしたんですわ。
コールサインが足らなくなって、数字から始まるものに。
おれね、その頃になって再び無線がやりたくなり、無線局免許申請をしたのよ。
そしたらさ、7K2QIUといったコールサインが下りた。
これはねえ、さすがにしっくりしなかったね。
それでも我慢して使い続けたんだ。
ブームも落ち着くとコールサインも余るようになったのか、コールサインの復活が認められるようになって、おれわよ早速申請をして元のコールサインの復活ができた。 そしておれわよ、お屋根の上に3.6メートルのポールにアンテナをつけて、全国のみなさまとCQCQと毎日飽きもせず、せっせこせっせこ遊んでたのね。
時々外国の方とも遊んでもらった。
もちろん日本語でね。
そしてそして、熱し易く冷め易いおれわまたしてもやめてしまった。
いつまでもアンテナをあげといてもしょうがないから下ろすことに。
それが昨日のことや。
でもコールサインは持ち続けていることにしている。
ハンディー機があるからそれでいこうと。
ペーパー無線ってったところ😆🙏 

またいつか、お空の上で、会いましょう。
心の一句。
こんなところで、おひらき。