NFLフリーク&中学受験生母、みさとのブログ

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東京の東側に住むアラフォー主婦。今ひとつ乗り切れないまま、中学受験の戦いのど真ん中に落下傘で降下。わが身と娘を守るために必死に戦う毎日。気晴らしはブログとNFL観戦。

Amebaでブログを始めよう!
この文章、実は、元々はよそのサイトに投函するために書いたものです。最初はこちらには載せる予定はありませんでした。

理由は、今まで書いたもの(受験関係、アメフト関係)とあまりにテイストが違いすぎるからです。なんというか、情緒的というか、お涙頂戴というか…

ですが、そちらのサイトの読者の方から、とてもいい内容だから、ぜひ普段投稿しているブログにも載せるといいよ、と言われ、迷った挙げ句、投稿することにいたしました。

なんというか、ウェットです。ベタベタしてます。高温多湿、東アジアモンスーン気候そのものの文章です。

そういうテイストの文章は苦手、という方にはおすすめしません。どうかスルーしてくださいませ。

主敬白


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平成26年4月、身長112cm 。それが先日測ったら身長は153cm。この6年で身長は40cmも伸びたのか…。

長女である。

さっき、小1のときの身体検査の結果を引き出しの奥から取り出して眺めていた。

体重は19.2kgから36.0kg。私に似ての痩せの大食い、クラスの男子を含めても一、二の大食漢らしいが痩せっぴーで、ふくよかさはかけらもない。本人もそれは気にしていて、プールの時間が嫌だ、と言っていた。周りの女子からは羨ましがられるそうだが、口の悪い男子からは「マッチ棒」と冷やかされるらしい。

まだまだ子供子供していて、もうしばらくは、ビュッフェやテーマパークでも子供料金でいけそうだ。でも、ふとしたときに、大人の表情を見せることがある。先日も、ものを書くときに左側の髪をかきあげて耳にかける仕草が私そっくりだ、と義母に言われた。家の固定電話にかかった電話に出ると、私だと思われて一方的に話されることも増えた。

アルバムを開く。

遠く離れた幼稚園に通わせたので、小学校に入るときは、知っている友達が誰もいなかった。入学式の当日の朝、それまでは入学が楽しみだ、と言っていたのに「ほんとは行きたくなんかなかった」とひっくり返って大泣きした。慌てたが、ここで無理強いしてはいけない、と思い「いいよ、行くのやめよう。学校なんて行かなくったってなんとかなる」と言ったら、しばらくメソメソしていたが支度をし始めた。

だから小学校時代の最初の1枚は、校門の桜の木の下で、暗い寂しそうな顔をして、口角だけを上げている写真。

授業が始まってもしばらくは友達ができなかった。毎日毎日、涙をこらえて学校に向かった。我が家はマンションの一階、登校班の待ち合わせ場所はすぐ目の前。そこに俯きながら向かう姿に胸が締め付けられそうになった。

マンションのエントランスで、解錠のためにインタフォンを鳴らす。「お帰り」と言いながらドアを開けるのだが、「ただいま」の声がもう泣き声になっていて、エプロン姿のままつっかけをひっかけて、エントランスに走った。娘は私の腰にしがみついて噎び泣いた。

買い物途中に見かけた娘。交通安全指導で、信号の渡り方を練習していたのだが、クラスの人数が奇数だったのか、2列縦隊の列の一番後ろに一人ぽつんとしゃがみ、足元に視線を落としていた。その姿があまりに寂しそうで、思わず涙が溢れた。

でも娘は一度として学校に行きたくないとは言わなかった。それはそう言うと私が悲しむから、我慢していたのだと言う。

学校を面談で訪ねたとき「わたしはがっこうがあまりすきではありません。それは友だちがいないからです。でも、がんばってかよいます。なぜなら、わたしががっこうに行きたくないといったら、大すきなおかあさんがかなしむからです」という作文を見せられて、私はひと目もはばからず声を上げて泣いた。

高学年になっても決して順風満帆ではなかった。優しく、内気な娘は、しばしば女子特有の陰湿なイジメ、イビリの対象になった。友達関係を気に病んで、原因不明の発疹が全身に出たこともあった。見かねて「あなたが自分が悪いと思ったら心から謝りなさい。でも、あなたが悪くなかったら毅然としていなさい。たとえ世界中を敵に回しても、ママはあなたを守るから」といった。涙で濡れた目で私をみつめ、うん、と頷いたのは、あれは5年のときだったか。

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もう中学生ともなれば大人である。昔はその歳になれば嫁いだのだから。4月からは家の鍵を持たせようと思う。もう、「ただいま」の声を聞いて、あ、さてはあの声は学校でいいことがあったな、ん?また嫌なことがあったか…、と気をもむこともない。寂しいような、ほっとするような。

明日は長女の小学校の卒業式である。