たまに過去のやりきれなかった経験が思い出されることがある
主に母とのこと
母は一言でいうと対話ができない。
今は70歳になりだいぶマイルドになったのだが
昔から思い込みが強く、自分本位で相手の立場になって考えることが出来ない人だった
子供の頃から自分なりに試行錯誤し、親子で円滑な話し合いができるよう試みた
母にはどうしたら伝わるのだろう?
言い方を変えてみよう。
冷静に優しく歩み寄るカタチで言ってみたらどうだろう。と
子供とて対話がしたかったのだ。
でも、やはり対話にはならず終わっていた
こちらの質問には「こういうものだ」「そんなのだめに決まっている」としか返ってこなかった
それどころか逆に感情的に怒るもあったな
もう子供は何も言うなと言わんばかりw
あの頃の自分のやり切れなさといったら😅
話し合いができない、相手にされないって辛い
一人の人間として扱われていない気がしていたからだ。
だめでもいい、あなたの理由を聞かせてほしい
それだけだったんだよなー
今なら母は自分が親にされてきた子育てのコピーを一生懸命やっていただけに過ぎないことがわかる
子育てはこういうもの。
子供とはこういうもの。
ある意味右にならえの素直な人だった分、柔軟に自分で思考することはできず、子供個人の中身を見て対応するなんて高度なことは難しかったのだろう
なーんて過去を懐かしむ。
もう怒りも恨み辛みもない。
この経験も今の自分のコミュ力の一部になって昇華できているからだ