ここまで色々と悶々としたものを抱えている人間が会社という組織で働くのを得意としているわけもなく、「最近の若者」の例に漏れず会社での働き方に対してやりづらさや疑問を持っているのだが、
会社という組織はなかなかどうして多くの人間によって構成されているので、変化を引き起こすのが難しいと思う。つまり会社に不満をもったところで、会社が自分に合わせるのではなく自分が会社に合わせた方が圧倒的に楽だということだ。

一昔前にある銀行員のドラマが流行り、私もテレビにかじりつくようにそれを観ていたがこのドラマの主人公は自分を曲げることなく会社を変えた人物として描かれている。彼が所属するのは大銀行なので会社を変えようとすれば当然経営権を一部有する役員クラスに楯突くことになり、それはもう派手な闘いが繰り広げられていた。
最終的には正義と銀行のあるべき姿を貫く主人公が筋を通すことに成功するその姿が日本人好みの勧善懲悪モノになっている点が人気の理由の一つであると思う。

疑問というか悲しいと思うのが、ここまで日本人はあのドラマが好きだというのに、あの主人公の姿を自分に写して正義と会社のあるべき姿を本気で模索し、主張する人間が少ないということだ。
楽をするために自分を変え、会社の風習に身を委ね、微妙にズレた感覚を持ちながらもそのシステムを維持するため黙って働く。まあ大半の人がそんな感じなんだろうと思う。前述のとおり楽なのでね。

ドラマのことはまあどうでもよくて、会社ってむずいなと感じることは多く、多くの人を束ねていかねばならないので、なるべく多くの人が納得できるような判断というのをしていかなければならない中、じゃあどうすればそうできるかってことを上の連中は皆一応考えているんだろうけども、
そうするために人が集まって話し合って決めようとしているところが殆どなんだろうなと。

会社の最高決議の場はおそらく取締役会になるのだと思うのだが、結局人が集まって決めようとしたとこで決まらんことの方が多いんだろうなぁと感じる。ほんで多数決なんでしょ。最後は。

物事全てを客観的に評価し意見し議論が進められれば何も問題は無いのだが、上の連中が決めなければならないことというのはまあ大概そう簡単に決められることじゃないのだろう。例えば「どのテーマを残してどのテーマを切るか」とか「どうすれば職場環境が改善されるのか」とかそういった議論をやっているのだろうと思うが、そんなもの大人数で決めても正直仕方ないと思う。
ある程度以上は客観的に評価できないとなると、参加者の主観が必ず介在するし、主観が介在する以上大人数になればなるほどカオスになるんだろう。
圧倒的なカリスマ性を放つリーダーという存在が少なくとも1人いるか、よほど完成されたシステムが無ければ、正直会社は存続できないと思う。主観飛び交う不毛な議論を両断し、多くの人を同じ方向に向かせるようなある種洗脳じみた異彩がないと多くの人は束ねられない。

「ダイバーシティ」だとか「様々なバックグラウンドの人が協力して」だとか、そういうこと掲げてる人や会社は、そういった多様な人が真に協力することが容易ではなく、それなりの方法論や圧倒的に人を惹き付けるモノの下でないと実現しないってことをもうちょっと理解した方がいい。

「なんかわからんけど、下の者の中から優秀な人が突然現れて会社を若い力で変えて盛り上げて欲しい」みたいな空気を特に自分の会社から感じるの、本当に情けないし残念に思う。