夢を冠したイベントの締めくくりに、月並みかも知れませんが、夢のような5年間でした。
人生に絶望して、心を病み、藁をもすがる気持ちで見知らぬ世界に飛び込んだ7年前。40を回ったおじさんの世界はあの日から180°変わりました。
20も30も年下の、若い女の子達の夢の求心力に振り落とされないように、必死でその夢を後押ししたくて飛び込んだ地下アイドルの世界。そこで見たものは、決して煌びやかなだけではない、人間の複雑な感情の揺らぎであり、努力や才能が報われない残酷だけど美しい世界。ひと足先に大人になった人間ができることは、若い情熱をひたすらに向けられる環境を作ることだ、そう思い、がむしゃらに走ってきた5年間でした。
ただ、そんな気持ちとは裏腹に、若いアイドルから実際は学ぶこと、教えられることの方が余程大きく、そしつ価値ある出会いに恵まれたイベンター生活でした。
ココさん、という名前は自分でつけました。本名に特徴のある僕は、それに紐づけた呼ばれ方しかしたことなく、別人格…ではないですが、気持ちも新たに飛び込んだこの世界で、呼んでくれるその違う名で、学び得たものはそれは掛け替えのない財産で、僕の人生を劇的に変えてくれた生涯一の贈り物でした。50を手前にした枯れていくばかりの人生を彩ってくれた、出会うべくして出会えた時間でした。
まだ夢の中にいるようです。
起きて見る夢は、醒めないままに見続ければいつか叶う。そう信じていました。しかしそれは、嘘に近い幻です。夢見た未来は、当たり前には叶わない。これが真理です。でも、僕がこのDの純情というイベントを通じて出会った人々は、それを叶えられる可能性を持った人がほとんどでした。やれ地下アイドルはすぐに辞めてしまう、嘘と虚構の中で若さと美しさを消費して、泡沫のように消えてしまう、そう揶揄されるかも知れない。けれど、女の子が自分が1番美しくあれる大切な時期に、そのほとんどを犠牲にして、人に笑顔を届ける、元気を分け与えてくれる。そんな生き様とも呼べる崇高さも、板を降りた裏で泣いたり笑ったり、エネルギーに変えていくその姿を見て、明日を生きる活力に変えられずして、何を怠惰に日々を過ごせようか、と。
僕の人生は変わりました。この5年の日々が変えてくれました。誰かを推し、誰かに推される毎日が、人の生活や明日の未来を変えてくれる。教えてくれたのは、年端もいかない夢見る少女達でした。そして、それを必死で守る運営さんや関係者の皆さん、支えて下さったお客様、僕もそんな人達と共に、そしてDの純情というイベントが、彼女らと共に成長する人間になれたかな、なれているかなと自問しては、精進する、その繰り返しでした。
Dの純情のDは、夜明けを意味するDAWNのD。関西エンタメの末席から、ずっと誰かの夢見た夜明けが来ることを願ってきました。
1953日分の愛と感謝を込めて。
一生一度の忘れられない最高の夜を、ありがとうございました。
Seagull entertainment運営
Dの純情 ココ