画像はさきしま開催予定時のもの。


この頃、新型コロナウイルスが世界で初めて罹患者が出、また日本でも感染者が出始め、ちょうど豪華客船での感染、日本上陸の話題でテレビで報道され始めた頃だったかと思います。


ただどこかまだ楽観視している部分は否めず、僕らは新しい企画の話をいただいたり、イベント開催に問題なしと思っていました。当時は基本2ヶ月に1本ライブ開催頻度を設定しており、水面下ではかなり先、6月くらいの先を見据えた話をしていました。


前にもどっかで書いたかと思いますが、さきしまサイドの運営は、元々音響の専門職で、イベントの補助や人材派遣、育成のために専門学校で教鞭をとるなど、その道のプロです。Dの純情というイベントがある程度の実績を積み、認知され始めたこの頃、彼らが教鞭をとる専門学校とのコラボの話が進んでいました。


学生さん達の実地も含め、Dの純情というイベントを通して、ブッキングやイベント制作を学ばせてほしい、言わば教材としてイベントをお借りしたい、というお話でした。学生さん達はPAのオペレーションを実際のライブで学び、実技として取り組ませてほしい。ベイエリアから発信する、エンタメの底上げをイベントの主軸にしていた素人立ち上げのDの純情というイベントが、何だかその趣旨に沿って初めて認められた、そんな気持ちでこのお話を前向きにお受けしました。それは本当に誇らしく、またありがたいお話でした。


しかし、この話は頓挫することになります。


新型コロナウイルスがもたらした暗い影。僕らの予想を遥かに裏切るかのように、世界は侵食されていきます。まるで悪夢のようでした。


Dの純情のDは夜明けのDawn。眠りながら見る夢ではなく、起きてなお見る誰かの夜明けに繋がる夢。僕らの目指した夢とはまるで違う悪夢。


さきしまコスモタワーにおける全イベントを中止する。突きつけられたのは、イベントの撤退をも視野に入れたつらい現実でした。


それでもまだ、どこか楽観視する気持ちはありました。イベント会場として、大阪府の庁舎であるオフィシャルな場所を貸し出すことは出来ない、という現実。


一旦、僕らはさきしま開催を見送り、今回だけは、本当にそれくらいの気持ちで別会場をあたりました。代替会場となったのは、当時むーさんが働いていた西天満にあるライブハウスMOERADO(現在は閉店)。急ピッチで会場の変更と周知を開始しました。


さきしまではない場所で、Dの純情を開催する。僕らがやりたいのはこの場所、しかしそれを許してはもらえなかった。急に目の前から色々なものが崩れて消えていく。気持ちを切り替えて、僕らは慣れ親しんだタワーを後にします。まぁ今回だけは、そう思いながら。


(コロナなんて大嫌い、続きます)