隊の編成(6名+米国人及び日本人ガイド)が正式に決定したのは、8月に入ってからであった。
それから慌ただしい準備の日々が始まった。
装備の入手と点検、高所順応、ロープワークの訓練を繰り返し、今回登頂プログラムを主催運営する米国MM社(Madison Mountaineering)及びチリから南極へのチャーターフライトを運行するALE(Antarctic Logitics&Expeditions)に書類を提出した。
その中に登山履歴、山岳認定医による診断書の他に「危険負担の認知並びに責任放棄の合意」があった。
1)予知可能または不可能な要因により引き起こされる身体的、精神的損 傷、病気、死。
2)悪天候や厳寒の気温、急こう配などの危険な地形及び自然災害などの自 然の驚異の力。
3)人体と代謝に急速な悪影響を与える特に強風を伴って悪化する極端な低温状態。
4)南極点における高度障害に似た酸素欠乏による悪影響。
5)太陽輻射に晒される危険性が地球上の他の地域より極めて高く、また氷や雪や雪の反射によって引き起こされる皮膚や眼球への危険。
6)通信手段、捜索と救助のインフラ設備の限界、、、など
事細かに記載されており、これらを充分承知した上での参加であることの署名を求めるものであり、この山が普通の山でないことを示していた。
ロスアンゼルス〜サンチャゴを経由してチリの最南端プンタアレナスに到着したのは12月16日午後、日本を出て30数時間後であった。
季節は夏、時差12時間。日本とは真逆である。
飛行機は強風に煽られ、空港に降り立つと、真夏にもかかわらず、南極方向からの冷たい強風の洗礼を受け、思わず身震いする。


プンタアレナスはマゼランが1520年、世界一周の航海の折、発見したマゼラン海峡に面する小さな街である。至る所に難破船が打ち上げられ、この海峡がいかに航海が困難か物語る。



