今日の影山桐子は図書館に居ない。

 

 今日は、桐子の祖母梅乃の命日にあたり、休みを取って墓参りに行くことにしていた。

桐子は、部屋にある仏壇横の箪笥の引き出しを開ける。その中には、祖母が大切にしていた着物や帯が幾つもあった。どの着物もたとう紙に包まれ丁寧に保管されている。普段は擦り切れたような洋服を着ている祖母だったが、入学式や卒業式、少し改まった場へ行く時は、必ず着物に着替えて出向く人だった。祖母は元々裕福な家庭で育ち、地元の地主の御子息との縁談が決まっていたらしい。それを断って駆け落ち同然で一緒になったのが、祖父だった。祖父と結婚する前は華道や茶道を習っていた為、着物を何枚も持っていたのだった。その育ちの良さが祖母に隠しきれない上品さをもたらしていた。

 今日は祖母の為、桐子は祖母の着物に身を包んで出かける。祖母と身長があまり変わらなかったおかげで、祖母の着物がそのまま桐子も着ることが出来た。

「桐ちゃん、とっても良く似合うわ。素敵よ。」

祖母が桐子の横に現れて微笑みかけた。

「お祖母ちゃん。」

桐子は嬉しくて鏡越しに祖母を見つめ目を細めた。

「毎年ありがとうね。それから、一人にしてしまってごめんなさい。いつも傍で見守ってるからね。」

鏡越しの祖母が少し悲しそうに微笑むと、煙のように消えてしまった。

 

祖母の墓は、自宅から一時間ほど離れた墓地にあった。影山家と刻まれた墓に、祖父と一緒に入っているのだ。

 途中、墓参り用に花を買う為、桐子は花屋野乃花に寄ることにした。

先日松太から連絡先を教えてもらったが、桐子は一度も連絡することなく、何もなかったように店に来てしまった。気まずいと思いながらも平静を保ったまま店のドアを開けた。

しかし、そこに松太は居なかった。桐子は少しほっとしたが、何だか寂しい気もした。

この日は店長の(かすみ)が対応してくれた。

「あら、今日は一段と素敵な装いね。とっても綺麗!」

そう言って霞が桐子をまじまじと見るので、恥ずかしくなってしまった。

「ありがとうございます。あの、すみませんが、墓参り用に花を見繕って頂けますか。」

桐子は、いつになく小さな声で話した。

店長の霞はいつも笑顔だった。

「お任せください。」

そう言うと、手際よく花束を2つ用意してくれた。

「今日は梅乃さんの命日ね。気を付けて行ってらっしゃい。」

そう言って桐子に仏花を手渡した。

桐子が代金を支払って店を出ると、霞が手を振っていた。桐子は軽く会釈をしてバス停に向かった。

停留所でバスが来るのを少し待った。道路を行き交う車の音と歩道ですれ違う人々の声が、いつものように桐子を包んでいた。2分程して停留所にバスが停まりそれに乗り込むと、バスの窓越しにあの青年の姿が見えた。図書館の光の中で見たあの青年、確かにそうだった。と同時にバスが発信して、足元が揺らいだ。それでも桐子は、確かめようと窓に近づいた。しかし、あの青年は通りの奥へ消えて行ってしまった。

「はぁ。」

桐子は大きく溜息をついた。あと少しの所で、逃してしまったのがとても悔しかった。

乗り込んだバスに揺られながら桐子は、あの青年や持ち去られた本の事をまた考えていた。

「何故、間野柊太と名乗るあの青年は、母が頻繁に借りていた本を持ち去ったのだろうか。偶然だろうか。そして、母と交互に本を借りていた中川蓮歌という人物は一体何者なのだろうか。中川蓮歌について調べたい。本が一冊盗難にあったくらいで、警察があれ以上捜査してくれるとは思えない。」

桐子は、バスの窓越しに流れる景色をただぼんやり眺めているだけで、意識はそこになかった。桐子の頭の中では、調べたい事が次々に湧いてくるように浮かび、自分の世界に浸っていた。次のバス停のアナウンスが流れた時、桐子は我に返った。慌てて降車ボタンを押した。桐子は、危なく目的のバス停で降りそびれるところだった。

 

バス停を降りると、そこから曲線を描くように坂道が一本延びている。その坂道の突き当りは木々が生い茂り、その中に水場がひっそりとある。その水場の横に石の階段が続いている。その階段を上ったところに墓地が広がっていた。桐子は、階段脇の水場に備えてある手桶に水を入れ柄杓を挿して左手で持った。そして、右手で仏花と鞄を握りしめて石段を登って行った。着物を着ているので動き辛く感じたが、祖母の着物となれば全く苦ではなかった。

 

 石段を登って墓石の間を進んで行くと、影山家の墓石の前に見覚えのある姿があった。

それは、松太だった。桐子は驚いた拍子に花束を落としそうになった。その気配を感じてか、松太が振り向いた。

「桐子さん!」

松太は桐子に向かって手を振った。桐子が近づくと、松太は少し顔を赤らめていた。見慣れない桐子の着物姿に、松太は目を奪われていた。

「勝手にすみません。私も梅乃さんにはとてもお世話になったので、霞さんに頼んで今日は休みを頂きました。何か、すみません。」松太は後頭部を手で触りながら気まずそうな顔をした。

「いえ、あの、ありがとうございます。祖母も喜んでいると思います。」桐子は動揺していた。まさか、こんな所で松太に会うとは思いもしなかった。

「桐子さん、それ持ちますよ。大変だったでしょう。」そう言って松太がそっと桐子の手から手桶を取り上げてくれた。

 影山家の墓石は既に綺麗に掃除され、花も活けてあり線香の煙が吸い込まれるように空へ登っていた。

「あの、掃除して頂いてありがとうございます。」桐子が礼を言うと、松太はいつもの優しい顔で言った。

「ああ、そんなお礼なんて。寧ろ、勝手に掃除してしまってすみません。実は私が来た時、既に誰かが来た後のようでした。まだ萎れていない新しい花が供えてありました。私は、てっきり桐子さんが来られた後かと思っていました。誰でしょうか。」松太は、桐子が持って来た水を墓石にかけながら話した。

「そうですか。だれだろう…。」桐子には、全く心当たりがなかった。

「桐子さん、そのお花いいですか。」仏花を持ったまま考え込む桐子の手から花束を受け取り、松太は墓石に花を供えた。こうして花が大量に供えられた影山家の墓は、墓場で一際目立っていた。

 松太が桐子と連絡先を交換しようと試みたのは、梅乃の命日に墓参りをするからだった。出来れば今年は一緒に墓参りしたいと松太は思っていたが、互いになかなかゆっくり話す時間が取れなかった。そして、松太が秘かに桐子に思いを寄せるも、桐子の心情が全く読めずに今以上踏み込めずにいた。連絡先を教えるも桐子は連絡してこないので、終いに松太は勝手に失恋した気持ちになっていた。一方桐子は、松太に好意はあるものの素直になれないどころか、そっけない態度をとってしまっていた。故に二人の関係性は全く進展しなかった。それでも松太は、桐子の性格を梅乃から聞いて知っていたので、いつも親切にしてくれていたのだった。

 

桐子が線香を供えると、二人は墓石に手を合わせた。線香の煙が二本のリボンのように空へ伸びて行った。

「もうお昼ですし、そろそろ、帰りましょうか。」松太はごみ袋と二つの手桶を持ち、空を見上げた。太陽が二人の真上に上っていた。

「そうですね。そう言われると、お腹空きました。」

桐子の返しが何だか可笑しくて、松太は少し笑ってしまった。

「井口さん、もしかして笑ってます?」桐子が松太の顔を覗き込んだ。

「ええ少し。」松太は笑いを堪えるように言った。

「私そんなに可笑しなこと言いました?」

「いや、言っていませんよ。それより、着物とってもよく似合っています。綺麗です。」松太は真っ直ぐに桐子を見つめてそう言った。

「え、あ、ありがとうございます。」松太の不意を突く言葉に、桐子は少し照れた。

「この後、予定がなければ、お昼、一緒に食べて帰りませんか。」穏やかな口調で松太が桐子に問いかけた。

「いいですよ。」桐子が微笑んだように見えた。

二人の何気ない会話が、今の二人に一番不足していた。

祖母の着物を身に纏っているせいか、この日の桐子はやけに素直だった。