午後も影山桐子は図書館に居る。
遅めのお昼休憩から戻った桐子は、荷物を事務室に置いて桜子の居る貸出カウンターへ向かった。
「浜辺さん、ちょっとパソコンをお借りします。」
桐子はそう言って桜子の隣に座ると、パソコンで貸出データの検索を始めた。
「どうぞ。影山さんが検索するなんて珍しいですね。」
「ちょっと調べものです。」
桐子の不愛想な返事も気にせず、桜子は小声で話し掛けて来る。
「ずっと気になっていたんですが、影山さんはお幾つなんですか。」
「25歳です。」
桐子はパソコンを見つめたまま答える。
「ええっ、私より年下じゃないですか。年上だと思っていました。」
桜子は目を見開いて桐子を見た。
「そうですか。」
桐子は全くパソコンの画面から目を離さない。桜子はそれでも話し掛けて来る。
「影山さん、悩みとかあります?」
「いいえ、特に。」
「私は、あるんです。私、5年間ずっと付き合っている彼がいるんですけど、全然プロポーズされないんです。もうすぐ私、三十路ですよ、焦ります。影山さんは、好きな人いないんですか。」
桜子の問い掛けに、桐子は一瞬井口松太の顔が浮かんだが、自分で打ち消した。
「えっ。そんな人いません。」
桐子は、自分は恋などしない、母のようにはならないとずっと思っている。
「ふぅ。」桜子から小さく溜息がこぼれた。
少し沈黙が続いたが、今度は桐子が話始めた。
「私から見れば、浜辺さんは十分に魅力的な女性ですし、結婚に拘る必要ないと思います。私には経験の無い事なので、何が正しいかは全く分かりませんが、結婚しても別れてしまう夫婦はたくさんいますし、私は、二人の関係性が良好であることが一番だと思います。個人的な意見ですが。」
思いがけない桐子の言葉に、桜子は嬉しそうにこくんと頷いた。
桜子は、図書館で働く以前は、中小企業の事務員をしていた。しかし、些細な事がきっかけで女子社員の陰湿な虐めに悩まされるようになり、終には退職に追い込まれてしまったのだ。その時からずっと支えて来てくれたのが、今の桜子の彼氏だった。
桐子は、パソコンから目を離すと桜子に向かって軽く会釈をして貸出カウンターから去って行った。そして、桜子の沈んだ顔は、雨上がりのように晴れやかな顔に変わっていた。
あの日、あの青年が持ち去った本が分かった。
桐子はあの青年が現れた方の本棚に並んでいない本を調べた。その本の中から貸出になっていない本が一冊だけあった。
「何故、この本を持ち去ったのだろうか。」
桐子は、あの青年が本を盗んだ事よりも、この本がとても気になっていた。
何故ならば、この本にはもう一つとても気になる事があった。
桐子が貸出履歴を調べていた時に分かった事だが、この本を定期的に特定の二人が交互に何度も借りていたのだった。その借りていた人物の一人が、影山杏華、桐子の母だった。
「この本があの青年に持ち出された事と母の貸出履歴は偶然だろうか。」
桐子は、こう考えていた。
「母は、この本を通じてもう一人の人物と何かやり取りとしていたのではないか。例えば、本の間にメモを挟んで交換するとか。」
桐子はいつも通りに図書館で作業をしつつ、頭の中では盗難された本の事ばかり考えていた。