おじいちゃんへ。

私が大学に通っていた頃から

おじいちゃんの

長い入院生活が始まり、苦しい時間を過ごす

ことが多くなりました。

そんな中でも、おじいちゃんは

会いに行くたびにいつも「どうだ?」

と声をかけてくれました。

おじいちゃんは、前に出て何かを言うという

より、少し離れたところから静かに、

でも確かに見守ってくれている人でした。


派手ではなくても着実で

本当に困った時には相談できる

私にとってとても頼れる存在でした。

その存在がどれだけ大きかったかを、

今あらためて感じております。


大きな挫折のあと

こちらに戻ってから、専門学校に入り

資格を取り、

毎日、楽しく、やりがいを持って

働くことができています。

今の自分があるのは、おじいちゃんが

いろいろな形で支えてくれたからです。


そしておじいちゃんは、そんな優しさを

最後の最後まで見せてくれた人でした。


誤嚥で救急に運ばれた時、私はちょうど

確定申告で繁忙期の真っ只中でした。

正直、あのタイミングでそのまま

お別れになっていても、

おかしくない状態だったと思います。

それでもおじいちゃんは、繁忙期が明けて、

納品などの作業も落ち着いた

今の時期まで待ってくれたように感じています。


最後の最後まで周りを気遣うところが、

本当におじいちゃんらしいです。


亡くなる二時間ほど前、私はおじいちゃんに、

今のこの日々があるのは、

おじいちゃんが支えてくれたからだよ、

と伝えました。


その時、おじいちゃんが大きく反応して、

涙を流してくれたことが、

今も強く心に残っています。

ちゃんと伝わったと感じられて、

とてもうれしかったです。


あの瞬間は、私にとって一生忘れられない、

大切な時間になりました。

これから、おじいちゃんがいなくなったことで、向き合わなければならないことも

たくさんあります。

でも、あの時おじいちゃんに伝えた通り、

今の仕事で身につけた力も生かしながら、

これからのことは私たちがしっかり

やっていきます。だから、安心してください。


私も、おじいちゃんのように、

社会人としても人としても

信頼される人間になれるよう、

全力で精進してまいります。


昔のエピソードとして、今でも思い出すのは、

私が小さい頃、

おじいちゃんの家に泊まった際に

みがきのガムをもらって、

「これを噛めば歯みがきしなくていい」

と言われたことがありました。

もちろん母からは後に歯磨きはしなきゃ

だめとちゃんと修正が入りましたが、

今思えば、そういう豪快なところも、

おじいちゃんらしい思い出です。


おじいちゃんは、頑張りすぎなくらい

頑張ってきた人生だったと思います。

これからは肩の力を抜いて、

ゆっくり休んでください。

今まで本当にありがとうございました。

どうか安らかに眠ってください。



息子が

お葬儀の時に

父にお別れの言葉を

言いました。


2人きりでの病室で

きっと息子は父に『ありがとう』を

涙ながらに伝えたのでしょう。

そして

我が家がかかえる問題も

『大丈夫!安心してください。』


もちろん

息子はどんな言葉をかけたのかは

教えてくれませんでしたが


それまで

意識もなく

目を閉じたままだった父が

目を開き涙を流して

何かを話したそうに口を開いたそうです。


私が病院から息子に電話をして

駆けつけてくれたとき


息子が


『じぃーちゃん。そのまま一緒に母ちゃんを

待っていてあげたら良かったね。

俺、じぃーちゃん、大丈夫だと思って

油断して帰っちゃって。ごめんね。』



泣きながら

でも

笑顔で言っていて



最期におじいちゃんと

話せて

もう十分だと…

息子は何度何度も言っていました。


孫(息子)が後悔しないように

良い『さよなら』を

させてくれた父


最期の最期まで

本当に

『ありがとう』







父の最期の1ヶ月

もう少しだけ
つづきます。


​3月の

らんめるにこピンク薔薇赤薔薇ひまわり

トリミング


お留守番ばかりの3月でしたね。

ごめんね🙏











父が入院してすぐのこと

とても

不思議なことがありました。



その日、息子と私、父の病室で

過ごしていました。

夫が残業で遅くなるとのことで

帰りに

何処で夕食を済ませていこうという

話になったのです。



『お父さん、また明日ね。

今日は帰りに

ケンくん(息子)とはま寿司に行くから

もし良かったら

着いてきてね。』



そう父に声をかけて

病室をあとにしました。






食事中のこと

不思議なんですが…

ふとした瞬間に


父の『匂い』

何度もしたのです。


気のせいかな?と思っていたのですが…。



翌日

その話しを母にしてみました。

 

すると、横たわる父に

母がこう尋ねたのです。


『お父さん、昨日

はま寿司についていったの❓

美味しかった❓』




すると

意識がないはずの父が

口をもぐもぐする仕草をして

まるでイタズラがバレた子のように

『にんまり』と笑ったのです。


それには母もビックリ‼️



ここ数年、あまり見ることが出来なかった

元気なころの笑顔

目は閉じたままでしたが

母も私も

父の意識が完全に戻ったのかと

思ったほどでした。



『ああ、本当にお寿司を

一緒に楽しんでくれたんだなぁ』と

確信できた

幸せな出来事でした。




もうひとつ不思議なことがありました。



父が旅立った最期の日



仕事中、何故か数回

ふわっと

日本酒の香りがしたのです。




職場では白衣を着用しますし

服は着替えているので

それは考えにくく。。。

それでも、自分でも驚くほど強く

香ったのです。



その日は常に父のことが頭から

離れず

自然と涙がポロポロ出てきたりして

変だなぁと思っていたのです。



そしてひときわ強く

日本酒の香りを感じた瞬間かありました。

 

ふと時計をみると

20時40頃



実はその時刻



この1ヶ月

毎日、仕事帰りに

父に会いに行っていた

息子が

病院でこう語りかけていたのです。


『おじいちゃん、もう少ししたら

母ちゃん(私)

仕事が終わって会いにくるから。

待っててね。

また、明日来るから。』


息子がそう伝えて

病室を出たのが

私が強い香りに包まれた

まさに

『20時40分』でした。






今になって思うのです。


父はもう限界を超えるまで

頑張り抜いていて




『そろそろ時間だ。早く来てくれ。』




私を呼びに来ていたのではないかと。





4月のトリミング

らんめるにこピンク薔薇赤薔薇ひまわり

4月もお留守番になりがちに

ごめんね🙏







最期の日

父は

息子にとっても

忘れられない時間を作ってくれました。



それについては

また改めて

ブログに書き留めたいと思います。










父との最期の日
備忘録です。








 




病院からの呼び出しで

病室に急いで入った

私たち


確かに血圧も

酸素飽和度も低下していました。




『お酒』と『ハチミツ』

もう月曜日の主治医の返事は

待てない‼️


そう思い

スポンジに日本酒を含ませ

口腔内を軽く拭きました。


夜中の薄暗い病室に

日本酒の香りがただよって

父が深ーいため息をつきました。



『あーうまい‼️』と

父が

言ってくれているようで


お酒を用意して

良かったと心から

思いました。




しばらくして

今度は

焼酎をスポンジに含ませて

口の中を拭ってみました。


スポンジには

固まった血がべっとりついて

どんなにどんなに

つらいんだろう

頑張っているんだろうと

泣けてきました。




もっとはやく

こうしてあげたら良かったと

後悔していると




モニター画面に

少しだけ回復の兆しが❗️

看護士さんからも


『血圧は低いけれど

落ち着いてくれましたね』と。


夫と息子には帰宅してもらい

母と私は病室に残りました。












朝になり

夫と息子はとりあえず

会社に出社。


母は一度帰宅して

お昼前に病院に来て

私と交代しました。


何度も復活している父を見ているし

父がひとまず落ち着いている

こともあったので


私も15時から出勤することにしました。




30日、8時35分

血圧がなかなか上がらず





30日.10時35分ころ





いつくらいからだったか。。。


父には


『お父さん、私が来るまで

絶対待っていてね。約束だからね。』


『待っていてね』


強く念押しをして

病室を出て行くようになりました。




この日は一睡もせずに

仕事に行きましたので

すごく疲れていたのですが

父のもとに行かないと後悔しそうで

仕事終わりの21時過ぎに

また

病院にむかいました。

エレベーターで

7階フロアに着くと

看護士さんが


『電話しようと思っていたんです』


と。




急いで

部屋のドアを開き



『お父さん、きたよ。』

 

出来るだけ元気な声で

言いました。


それと同時くらいに


父が

2回口を開くような動作を

したのです。


今思えば、それが

『旅立ち』の合図だったのでしょう。



音楽をかけてあげようと思い

バッグを置いて、スマホを開いた時

モニター画面の

呼吸を表す数値が

ぐんぐん落ちていくので


慌てて

右手で心臓マッサージをしながら

左手で

息子、母、伯母…に

『はやく来て‼️』と

電話をしました。





父の心臓を撫でたり

押すと

呼吸が復活するので



『お父さん、まだダメ。

お母さんまだだから。』


『ケンくん(私の息子)まだだから。待ってて。

お願い。』



父に呼びかけながら

心臓をマッサージを続けていると


息子が到着。


間に合いました。



このあと

呼吸は止まりましたが

心臓はまだ動いていて

夫と母がくるまで

諦められず

心臓マッサージを

続けました。


到着した

夫に

何度も

『もう、やめろ。』と

言われ

泣きながら

手を止めたときの

何と表現したらよいのか

わからない感情


今も憶えています。




伯母達が来てくれた時は

完全に呼吸はゼロに

心臓の鼓動は

どんどん小さくなっていき

本当に

父の最期なんだと思いました。


この日の干潮時刻は22時17分


この日の担当医が

やってきて

死亡時刻は

22時と告げられました。



心臓のモニターの数値は4

ときおり鼓動があるのか

弱く波形が揺れていましたが

そのうち

それもなくなり

モニターの数値は全てゼロになりました。












今になって思うのですが


最期の1ヶ月

『お別れする心の準備』だったのだと

思うのです。


父は、私との

約束を守ってくれたのだと

頑張ってくれたのだと

思えたし



皆、父に

感謝を伝えられたし

大好きだと伝えられて



それぞれが

しっかりと父との

『お別れの挨拶』をすることが

出来ていました。



最後まで

気遣いのできる父に



『お疲れ様でした。』




最期の言葉をかけていました。