コロナウイルス対応で現場で懸命に頑張っている全ての皆様、本当にお疲れ様です。感謝するばかりです。

 

そんな中、私には素朴な疑問があります。

 

クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス」や中国・武漢からのチャーター機などで自衛隊医官や看護官、衛生職種の人員が活動していますが、この人たちは本来、自衛官の治療にあたる隊員です。

 

 

そのため、医官などの感染や自衛隊の病院で対処を行うことで感染が広がれば、自衛官は自衛隊病院に行かれなくなる懸念がありますが、あまり指摘されていません。

 

 

自衛官の健康を守るのが自衛隊医官や看護官、衛生隊員であり、自衛隊が国の守りの「最後の砦」だとしたら、自衛隊の医療従事者は「最後の砦の砦」なのです。どんなに屈強な自衛官もケガをしたり病気になることがあり、その時の頼みの綱です。

 

 

しかし、自衛隊病院で感染が広がれば自衛官はそこで医療にかかれなくなりますし、同様に医官などが隔離されるようなことになれば診察も受けられません。平素から手術など緊急的な治療を必要とする隊員さんがいつ出るか分からず、そのために自衛隊の医療はあるはずですが、医療不在の状況は想定されているのか、非常に気になっています

 

 

そうしたリスクを考慮しても、現場に出てもらうことが国のために大事だと政治が判断するならばそれは致し方ないことですが・・。

 

 

ただ、健康な人には風邪のようなものだとはいえ、自衛隊が派遣されることは危機管理組織に感染リスクが及ぶわけですから、当然「自衛隊に感染者が出て活動が制限されることによる安全保障上のリスク」、「自衛隊員が自衛隊医療にかかれなくなるリスク」を覚悟した上での決断でということなんですよね?

 

 

また、「病院船」を検討することについて、ツイッターでも色々なご意見を頂いていますので、改めて申し上げます。

 

 

「災害時多目的船(病院船)に関する調査・検討」として、内閣府で平成25年に行われた検討会で私も議論に加わらせて頂きました。

 

 

まず、運用のための人員や医療従事者をどこから連れてくるのか、それをハッキリ決めずに「船ありき」で話を進めるような意見が多いようですので、冷静に考えて頂きたいと思います。詳しく知りたい方はぜひ公開されている同報告書をご覧下さい。

 

 

いわゆる「病院船」には船の運用のみならず、移送のためのヘリ運用も不可欠で、船上に降りる技術を持つ人、維持・整備のノウハウを持つ人を探すと、どうしても海上自衛隊や海上保安庁に頼る可能性が大となります。

 

 

ご承知の通り、海自も海保も任務が多い中で人員不足に苦慮しているわけですし、そこから予算を捻出するのは困難です。

 

 

他省庁で予算を付ければいいではないかという声も聞かれますが、建造費約140億円~350億円、維持・運用費に約9億円~25億円と言われ(ハイテク機器を搭載すればもっとかかると思います)、これが最低でも2隻必要となりますので、これだけの予算をどこかの省庁に付けること(しかも、病院船はあくまでも補完的な医療機関)は、あまり現実的ではないと言えます。

 

 

因みに、海自は「しらせ」で南極観測を支援していて、これは文部科学省の予算で行っていますが、それでも深刻な人員不足により当該事業から撤退する方針です。

 

 

航空自衛隊が運用する政府専用機も、以前のものは総務省予算で機体は導入しているものの、その他の費用は防衛予算でした。現在のものも同様、政府専用機にかかる経費は外交上のものが多いとはいえ防衛予算で賄っています。

 

 

ケチなことを言うわけではありませんが、常に述べているとおり、ここからここまでの燃料費を他省庁に請求するとか、そういうことまではできませんので、災害派遣などでも同じですが、防衛費による「持ち出し」は多くなってしまいがちなのです。

 

 

また、仮になんとか人員を確保し保有することができたとしても、平時の運用はどうするのか、どのようなタイプの船が必要なのか、も大きな問題です。

 

 

離島を巡回するという案がありますが、病床数の多い大規模な船は設備過剰であり、また、喫水が深いため接岸ができません。海外で活動すればいいという声には、では、その間に日本国内で大規模災害が起きた時に戻って来られるのかという話になります。

 

 

現在のところ、国内に機能できる病院がある限り、ヘリで陸上の病院に搬送することがベストと考えられます。私たちは医師ではありませんので、揺れる船上で医師がどの程度の医療措置を施すことができるのか未知数な中で議論していることも自覚しなければなりません。

 

 

海洋国家なのに病院船がないなんてダメだ、というのは確かに正論のようにも聞こえますが(「病院船」はそもそも兵士の治療のためのものでで、前提が違ったりしますが)、現実を見ずに理想だけでは立ちいかないのです。

 

 

ネガティブなことばかり書いて申し訳ありませんし、頭が固い、夢がない、などとご批判も受けますが、少なくともこれまで多くの人々によって議論がなされ、それぞれの場で、我が国が保有するためにはどうすべきかありとあらゆる知恵を出し合ったことを知って頂ければ幸いです。

 

連日で新型コロナウイルスのニュースが報じられています。そんな中でも、中国海警局の船は尖閣諸島周辺を航行するなど活動を止めていません。

 

 

海上保安庁や海上自衛隊がこうした領海を脅かす行為に対し休まず活動をしている一方で、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防止する名目で自衛隊は災害派遣として医療や生活支援を行っています。

 

 

これは自衛隊がすべきなのかどうか、その疑問はありますが、自衛隊が国家が直面する危機に際しては、仮に災害派遣の要件に合致しなくても、どこかでプレゼンスを現して欲しいという国民感情、あるいは政治的ニーズが強くなっているのだろうと感じます。

 

 

いずれにしても、他の人にない勇気と技術で活動にあたる自衛官の皆さんに声援を送りたいですし、感謝するばかりです。

 

 

そして、だからこそ、習近平国家主席を国賓で迎えることは賛同できませんし、中国国内でコロナウイルス感染者が増えている今、来日そのものについても中止することが望まれます。両国のためにも。

 

 

また、横浜港で足止めになっているクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス」、その名を聞いて「えッ」と思った関係者は少なくないと思います。

 

 

 「ダイアモンド・プリンセス」は三菱長崎造船所で建造された国産の客船です。建造中に出火し、納期が迫っていたため急きょ2番船として建造中だった「サファイア・プリンセス」を「ダイアモンド・プリンセス」に改修したという、その誕生からして波乱万丈でした。

 

 

三菱重工の造船部門は、その後も2016年に完成した大型客船「アイーダ・プリマ」と2番船「アイーダ・ペルラ」を手がけましたが、これらの大型客船事業で大規模な損失を計上。このため、同社は客船事業から撤退することを決めています。

 

 

 

「アイーダ・プリマ」は度重なる設計の変更などで完成が遅れ、3回も納期を延期した上、火災も発生しました。それも3回も。警察の調べでは放火の疑いがあるといいます。

 

 

 「ダイアモンド・プリンセス」の火災でダメージを負って以降、ストップしていた客船事業に起死回生の受注となったはずの船なのに、またも火災に見舞われてしまったのです。結局「アイーダ・プリマ」は納期を1年も遅れて欧州の発注元「アイーダ・クルーズ」社に引き渡されましたが、受注金額約1000億円に対して、関連損失は1872億円と言われます。

 

 

国が支援しての安値受注で中国や韓国の造船業が世界の市場を席捲する中、日本の造船業は、建造の灯を消さないためにも不慣れな客船事業に乗り出すしかなかった、というのが率直な見方ではないかと思います。

 

 

船の持つ運命というのはそれぞれ違い、『宗谷』や、あるいは駆逐艦『雪風』のように、幸運に恵まれているとしか思えない船がある一方、運に恵まれなかった船もあります。

 

 

「ダイアモンド・プリンセス」や「アイーダ・プリマ」は造船事業に災厄を招いたと、気の毒な物語として報じる経済誌なども多いですが、私はむしろこれらの船は強運の船だと思っています。艱難辛苦を乗り越えてこの世に生まれたのですから、

 

 

乗客や乗員、あらゆる関係者の皆さんの不安が一刻も早く取り除かれるよう願っています。この船が大きな困難を克服してきたことを思い起こしながら。

 

 

令和の夜明となった年が暮れようとしています。12月28日~1月3日までてんとうに並ぶ夕刊フジ「年末年始特別号」にて拙稿が掲載されます。お手にとって頂ければ幸いです。

 

皆様にとって新しい年が素晴らしいものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます!!

 

 

第8航空団司令 兼 築城基地司令 佐藤信知 空将補と
午前の曇り空も、ブルーインパルスの登場で青空に!

神風特別攻撃隊菊水銀河隊を顕彰する碑

昨日、12月8日、折しも開戦記念日に行われた「築城基地航空祭」にて「1日基地司令」を務めました。制服の重みをひしと感じながら、ひとりでも多くの隊員の皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思いながら基地内を歩きました。

 

 

安全や騒音の問題などもあり、こうした戦闘機部隊配置の基地トップは、ひとかたならぬご苦労をされているのだろうと改めて実感し、やはり、心身ともに鍛え上げられた人でないとできないだろうという感想を持ちました。

 

 

今回のお話しを頂いた時、必ずしたいことがありました。それは「神風特別攻撃隊菊水銀河隊慰霊碑の参拝です。これを実現できたことは、私にとって大きなことでした。併せて「殉国勇士の碑」にも参りました。こちらは正門の外にあり、来場する皆さんの波に逆行して前進しなければならず、辿り着けるのだろうかと案じましたが、私が先導しますと素早く出て来てくれた隊員さんに助けられ、ありがたかったです。それにしても、まさか制服姿で手を合わせることになるとは・・・まことに感無量でした。

 

 

築城基地から特攻機が飛び立ったことは、あまり知られていません。慰霊は鹿屋でひとまとまりに行われているようです。私はたまたま、佐藤守 元空将からこのお話を、もう10年以上も前に伺っていたのです。慰霊碑が完成するまでの詳しくは佐藤守 元空将の著書『ジェットパイロットが体験した超科学現象』をぜひご覧下さい。

 

 

昭和53年に築城基地司令宛に手紙が届き、そこには、親族が築城から出撃したものの詳しいことが分からないとあったそうです。そこで調査をしてみると、15人の方が築城基地から特攻を敢行したことが分かり、その慰霊碑を建立するに至ったといいます。これは、空自隊員有志が声を上げ、基金により実現したそうです。

 

 

「彼らが最後に地面を離れた滑走路が見える場所に作って欲しい」というご遺族の意向を受け、管制塔の下に建てられたのだそうです。

 

 

昭和54年3月17日に除幕式が行われます。前夜は初めてご遺族たちが対面した夕食会でしたが、雨がしと降る中だったと言いますが、当日は嘘のように晴れたそうです。

 

 

F-86F戦闘機5機の編隊飛行を密かに計画していた佐藤さんは安堵したといいます。そして、除幕式の終了直前に、5機の戦闘機が離陸することが分かると、ご遺族のひとりが「お兄さーん」と編隊に向かって呼びかけたのです。すると、それをきっかけに次々に皆さんが息子さんやご主人の名前を呼んで大空に飛び上がる機体に向かい手を振ったのだそうです。

 

 

「まるで34年前の特攻銀河隊の出撃のシーンにタイムスリップしたようでしたから、式典に参加した隊員ももらい泣きしていました」と佐藤さんの著書には記されています。

 

 

このエピソードを直接、伺ってから十数年たった先日、とてもお久しぶりに佐藤閣下とメールでやりとりをすることがあり、たまたま築城基地での出来事を思い出させてもらったのです。ああ、あの時聞いたお話しのあの基地からほど近い場所に私は今住んでいるんだと、はっと気づきました。

 

さらに不思議なことには、そのメールを頂いた日の午後に、築城基地から「1日基地司令」の依頼を頂いたのです。あまりのタイミングに本当に驚きました。

 

 

今年の航空祭のクライマックスは、訪れた人々が胸躍らせた「ブルーインパルス」の飛行でした。

 

 

青空を見上げる人々は皆、笑顔でした。ハートや、クリスマスツリーを描くと拍手や歓声が上がりました。喜ぶ子どもたちの顔を思い浮かべ、数々の演出を考えているに違いありません。特攻隊で散華した15人のパイロットたちも見守ってくれていたのではないでしょうか。

 

 

先人が遺してくれた平和をとことん味わい過ごしている私たちは、かつてこの滑走路を最後の地とした人たちのこと、それを涙で曇った目で見上げなければならなかった人たちがいたことも、必ず記憶にとどめなければならないと感じた1日でした。

 

 

隊員の皆さん、本当にお疲れ様でした。また、ご理解とご協力で支えて下さる近隣の皆さま、ありがとうございました。これからも、子供たちに夢と勇気を与えて下さい!