たかが校則、されど | 塩山みさこオフィシャルブログ「CAT walk」

たかが校則、されど

人生の教訓は至るところにある。

親の言葉や生き方そのもの、小説やエッセィなどの書物、先人の残した言葉とかとか。
何も言わない花から感じ得ることも。


学生時代の校則とか、


時には授業の内容でも


「くだらない」


「禁止する意味がない」


って思ったこともある。


っていうか、


むしろそんなことばっか感じてた。






例えばね、私が通っていた高校の校則では


セーターやベストの色は


黒、紺、グレーの他に茶色もOKだったかな。


でも白はNGなのよ。




厳しい校風では決してなかったけど


一応校則で許容されていない色だから


“指導”が入るわけ。






でもさ、意味わかんないじゃん?


白がダメなんて。


だから白を着たい生徒は歯向かうわけさ


「なんでダメなの?」


「別にいいじゃん」


「なんの害にもならないでしょ!」


って。






そうすると先生はこう答えてた


「校則だからダメなものはダメ」


「白を着たいなら生徒会に意見提出して


校則変えればいいじゃないか」


って。








ごもっとも!






先生たちだって“白だからけない”


なんて思っちゃいないんだよ。


ただ“校則違反は”、やっぱり“違反”であって


指導すべきとこなんだよね。






なのに、誰もそんなことしなかったね。


私も然り。


校則違反だとわかってて


校則違反続けて、たまに歯向かってたw


だって制服のスカートに


白のセーターやベストが可愛かったんだも~ん!








でもさ、今になって思う。




誰にも迷惑かけないってことは大前提としても


法律にしろ、人道的にしろ


“いけない”ってこと分かっていて


ヒトはその行為に及ぶ。


分かってるからコソコソする。


コソコソと違反してる者同志で集まる。






それが今、例えば法律違反で


違反であることがおかしいと思うなら


堂々とやりながら、動かしてみりゃあいい。


コソコソやってないで、動いてみりゃいい。






“正当化できる”って、そういうことだし


そうじゃないなら“ただのいいわけ”。






「誰にも迷惑かけてない」


「誰も傷つけてない」


なんてのも幻想。




誰よりも後悔して


誰よりも自分のこと許せなくなるんだ。


そんな先の人生は送りたくない。






今、自分のこと好きじゃなくても


好きになろうともがいてるほうが


よっぽど美しいと思う。


どうせないものねだりが


人の生きる道なんだから