美し国 blog
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此岸(しがん/迷いの世界)と彼岸(ひがん/悟りの世界)を結ぶ橋。

開店前の小さなお客様。

絶景のリアス海岸の眺め『面白展望台』三重県鳥羽市畔蛸町(あだこちょう)。

面白展望台は志摩市と鳥羽市を結ぶパールロードの途中にあります。
「面白」とは、鎌倉時代から受け継いだ松の名称に由来しています。
三重県鳥羽市畔蛸町(あだこちょう)は鎌倉幕府の第五代執権の北条時頼の縁の地で、
時頼が身分を隠して諸国を行脚した折りに当地に立ち寄られました。
畔蛸町にある西明寺は時頼を開基、時頼の師であった元庵禅師を開山として祀られています。
時頼は浜辺の風景が鎌倉の由比ヶ浜によく似ていることから鎌倉を懐かしく思ったと言い伝えられています。
鎌倉時代、太平洋上では鎌倉など東国に向かう船が行き来しており、
途中避難港として的矢湾に停泊して食料・水・船の修理などを行いました。
また、動力が風なので船乗り達は風待ちをして出航のタイミングを計っていました。
海上交通に欠かせない目印として畔蛸町に黒松があり、
時頼が詠じた「伊勢嶋や畔蛸の浦に来てみればいつも変わらぬ面白の松」という歌にも詠まれています。
また、江戸時代の古文書には、
「一徹波ねを洗えども傷まず、枝しじまり紫短くしてその景、尋常の松とことなり、是れ実に神の徳をあらわし千年の縁を生ずる事あらんや古来是れを面白の松」
と記されており、この松が展望台の名称の由来となっています。
残念ながら、黒松は嘉永(1854)年の安政東海地震による津波で流失してしまいました。
その後「二世面白の松」が鳥羽市指定天然記念物「西明寺のクロマツ」として西明寺境内にありましたが、平成15年に枯れてしまいました。
その後、面白の松の遺伝子を後世に残すために国の森林総合研究所に依頼して、
「クローン松」二本が成功し、三世として西明寺に一本、畔蛸町の神明神社参道に一本植樹されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲海の境界。

宝来紙(午/うま)。

宝来紙とは「絵絹」「えとがみ」ともいわれ、
しめ縄の代わりに掛ける縁起物です。

様々な縁起物がかたどられていますが、
最もよく見かけるのは「たま」と呼ばれる宝珠で、
仏様が手に持っている
「願いをかなえる宝の珠」と干支の宝来です。

起源は弘法大師・空海が中国からもたらしたもので、
寒冷な高野山には農地がなく、
しめ縄を作る稲が手に入らなかった。
そこで代わりに絹や紙を使い、
切り絵にして飾ったことに始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荒立つ波。

地に溶け込む猫。

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

旧年中は格別のご愛顧を賜わり厚くお礼申し上げます。

本年も昨年同様のご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

本年が皆様にとって輝かしい年とならんことをお祈り申し上げます。

令和8年元旦 

 

伊勢神宮内宮、宇治橋・五十鈴川『内宮領川曳・初穂曳(はつほびき)』

10月16日の内宮領川曳は船を使用し、米俵や酒樽を積み、たわわに実ったお初穂が飾られます。

そして浦田橋下流から、伊勢神宮内宮宇治橋まで、川の中を祭り装束で曳き進みます。

宇治橋の上から多くの参拝客が見守る中、木遣り(きやり)の後、

約1000名が力を合わせ、一気に五十鈴川から大鳥居横の内宮神域へと初穂船を曳きこむ様子は、

壮観で他にない伊勢神宮ならではの秋の風物詩でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約1600人が「エンヤー」のかけ声で~第54回初穂曳(はつほびき)『伊勢神宮「外宮領陸曳」』。

第54回 初穂曳(はつほびき)『伊勢神宮「外宮領陸曳(げくうりょうおかびき)」』

令和7年10月15日

 

年間1500回に及ぶ伊勢神宮の恒例のお祭りの中でも、最も重要なお祭り、

神嘗祭(かんなめさい)を奉祝する行事として、

その年収穫されたお初穂(新米)を伊勢神宮に奉納する『初穂曳』。

10月15日の外宮領陸曳は奉曳車を使用し、お木、米俵を積み、たわわに実ったお初穂が飾られます。

曳き手は伊勢の町衆(各町から参加する市民の有志)木遣り唄が秋空に響く中、

約1600人が「エンヤー」のかけ声で奉曳車を、北御門に曳き入れます。

そして、お初穂をそれぞれ手にして伊勢神宮外宮へ、奉納し収穫への感謝をこめて参拝をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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