こんにちは、ミサキです。
僕はオーストラリアで二年間ワーキングホリデーをしたあと、タイ、ベトナム、カンボジア、を旅してからインドに入り、ヨガの聖地であるリシケシュというインド北部の街に向かいました。
到着してタクシーに下された場所はローカルな人しかおらず、インターネットもつながらない、英語を話す人も全くいない、しかし前に進むしかない。
僕は聞いてまわりました。
" Where is yoga ashram?" ヨガのアシュラムはどこですか?
だが僕が思っているアシュラムは外国人が来て学ぶ学校のイメージで、ローカルな人が連想するアシュラムとは寺院や、泊まるところだったようで、、、”ここがお前の言ってるアシュラムだ!”と自信満々に案内された所にとりあえず疲れていたので泊まり、明日に備えることにしました。
他の東南アジアを旅したときとは比べものにならないインドの洗礼を受けた感じで、半ば心折れていました。
翌日心を入れ替え、道ゆく人に聞き歩いていました。
”where is american people?” 外国時はどこですか?
ととりあえず川に沿って歩いていくと、初のヨーロッパ人とすれ違い、インドについてから初めてまともに会話ができる人に出会い、本当に助かった安心したのを今でも忘れません笑
その方に道を聞きこのまま真っ直ぐ進めばたくさんヨガアシュラムがあるとのことでした。
そのまま進むと道にもたくさんの外国人、カフェ、アクセサリーショップと見慣れた観光地になっていきとりあえず死なずに済んだと一安心して、カフェに入りWi-Fiを借りて、本当に色々ヨガアシュラムがあるなと思いました。
でも僕は何も決めずに歩いて実際に見て聞いてどのアシュラムに入るか決めると決めて歩きました。
街を歩いてとにかく上へ上へと登っていきました。そうして歩いていくと何やらアシュラムと書いてある所があったのでとりあえず突撃してみると入った所に、校長、アシスタントの中国人、ボランティア中のヨーロッパ人が会議をしていて僕はそこに、
”ここはヨガアシュラム?ヨガを学びたいのです!”と持ちかけると、丁度三日後に21日間のヨガ先生育成のコースがスタートすると言われ、じゃあ入ります!と答え即決しました。
普通なら色々考えていろ色見てから、迷いに迷って決めると思うのですがこの時の僕は迷う時間がもったいないし、何もわからないのだからどこに行っても同じだ、とにかく一刻も早くヨガをがっつり学べる所にいたいのだと伝え、そうかそれなら3日コースが始まるまでここに泊まって、今行われている瞑想のコースに途中からだが参加してもいいぞとなり、3日分の宿、食事、コースを無料で受講できることになりました。
すぐに荷物を部屋に入れ、瞑想のコースの人たちに自己紹介をし、3日間を過ごしました。
この時の僕には瞑想のコースはつまらなく感じました。何をやってるのか同じ動きをくるくる繰り返したり、シュッシュっと息を吐きながらこれまたくるくる回ったりしてました。
”なんでこんなことやってんの?君たちはなんでこのコースに参加したの?”と食事中仲良くなった生徒たちに聞いてまわってました。
”僕はこのコースのためにわざわざアメリカから来たんだ、あの髭ながひょろひょろ先生の教えてることにはそれくらい意味のあることなんだ。”と真剣な顔していっているのを僕は”へぇあのひげオレンジ先生ーすげーのか”と思うくらいでした。
そんなこんなで3日が経ち僕の参加する200時間ヨガティチャートレーニングがスタート。
このコースには僕が一番若く23歳で、一番上は60歳、国籍も思い出せるだけでもオランダ、アメリカ、フランス、スペイン、中国、インド、ベルギー、ドイツ、人数は大体15人くらいで、部屋はアメリカ人の最年長60歳の人と同室になりました。
僕はすでに3日アシュラムにいたので準備万端ですが、他の皆はバラバラの時間に到着し
最初にはじまりの儀式として白い服をきろとのことで街でとりあえず買った白い服でプージャ祈りをして皆で自己紹介、意気込みを語り合いその日は夕食を共にし終了しました。
次の日から朝6時からプラナヤマがはじまりました。
そのあと7時からハタヨガがあり
8時から朝食
9時から12時まで座学
12時から14時まで昼ごはんと休憩で
14時から16時ぎまで座学
ティータイムがあり
16時半からハタヨガ
18時から瞑想のクラス
19時から夕食と夜はフリー
こんな感じのスケジュールで日曜日だけオフでした。
まず何もわからないところから手取り早くヨガを学べそうだからヨガ先生育成のコースに参加したので、見るもの、教わるもの、行うもの、聞くもの、触れるもの全てが新鮮で、”オォ!おぉ!オォ!なんだこれは!”と常に驚きと今まで知らなかったものへの発見で毎日が新しく、充実したものに変わったことを今でも覚えています。
朝早く起きることも辛く、その中で呼吸に集中するなど無理な話で何度も眠りそうになり、何回か座ったまま寝ました。
その後のハタヨガは今まで使ってこなかった体の部位、ポーズ、神経を使うせいかすぐに毎日筋肉痛になっていました。
瞑想の先生はかなりすごくて、若いのにどっしりしていて、座るときに足が完全にクロスするパドマサナを最初から最後まで毎日保っていて”俺もそれをやるんだ”と頑張ってましたがめちゃめちゃ足が痺れることを知りました。
”どうやってそんな座ってられるんだ”と何度も聞いては”大丈夫、できるようになるさ”のみ。
なんだそれちゃんと教えてくれーや!と半ばずるっと思ってましたが、今思えばあーあの人が言った感じわかるなーと感じれるようになりました。
そんなある日僕の中で革命的な出来事がありました。
それはある日の瞑想のクラス、そのパドマサナ先生が教えてくれた
YOGIC BREATHING(ヨギックブリージング)
という呼吸法です。
これを教わったその日から毎晩寝る間に、その日に習ったヨガポーズをして、ヨギックブリージングをしていて
ある夜それをやりながら音楽を聞いていたのですが、立っていたのが気づいたら床に仰向けになっていたことがあり、気絶するほど呼吸を入れ込みすぎたことを今でも忘れません。
このコースで出会った人達はなんだかすごくあったかくて、旅でもオーストラリアでも日本でもあったことのない人達だと感じていました。
それは今思うと、ヨガという自分と相手を一つにすることのできるもの学ぶ意識と、そこで非日常的な場所とスケジュール、短期間でも一緒に住むことで生まれる団結感なんだなと思います。
毎日顔を合わせるし、食事も囲む、ハタヨガも一緒にし、瞑想も一緒にする、座学ではわからないところを教わり、休憩時間には物足りないと言う僕に逆立ちを教えてくれる、キッチンのインド人の少年たちとも宇宙語で会話して笑い合った。
ここから僕のヨガへの旅は始まったんだなと今振り返ってもすごく新鮮であり、懐かしくあり、今でも感謝の心が湧いてきます。
ここがそのアシュラム、今は少し雰囲気変わってますが。
https://samadhiyogaashram.com/
正直今は誰でもヨガの先生になることができる、なぜならこのコースを取れば私は先生だと名乗ることができる。
僕は先生になる為にではなくヨガを幅広く手取り早く知りたかった。
そこからずーっと六年間が経って、
今、ヨガとはなんぞやと聞かれたとして、、
その答えは必ずしも正しいとは言えない。
なんの為にヨガをするのか、何にそこまで惹かれたのか、瞑想も、ハタヨガも、プラナヤマも、アシュタンガヨガも、そこでできるコミュニティも、精神世界、魂、仏教、オショー、舞踏、コンタクトインプロ、ブレスワーク、整体、カイロプラクティック、東洋医学、、
それに加えて一番は男と女の関係と、自分の中の男性性と女性性、光と闇、Yin&Yang。
未だに答えは出ない、答えはどこにある、答えはなんですか!
と聞いても”答えを急ぐな、答えがわかったら終わりだよ、楽しめ”と僕のブレスワークの先生が言っていました。
まだ答えは出ていませんが
今僕はやるべき仕事をこなし、その中でやりたいことへの時間をみつける。
色々学んできたけれど
原点に帰って夜の風と虫の音と共にただ座り目を瞑る
一番大変な役割を仲間の為に歌を歌いながら積極的に前に出る
休みの日には見たことのない世界に図書館にいく
今はなんのためにあるのかわからない日もあり、とてつもなく体調が悪くなる日もあります。
そんな日でも、時でも、これまでに習ったことを一つ一つ丁寧にやると必ず回復していって、やっぱりヨガには人を元気にする力がある。
もっとたくさんの人に向けてこれを伝えていきたい。