現役引退を故郷で飾る 丸山文裕 別府大分毎日マラソン

 

 

 

 

毎日新聞

引退レースとなる別府大分毎日マラソンに向けて調整する丸山文裕選手=宮崎県延岡市で2024年1月17日午前10時35分、黒澤敬太郎撮影

 

 第72回別府大分毎日マラソンは4日正午、大分市高崎山・うみたまご前をスタートし、ジェイリーススタジアムでフィニッシュするコースで開かれる。丸山文裕選手(33)=旭化成=は強い決意を持って最後のレースに臨む。  

故郷で開かれる思い出のマラソンで、現役生活に終止符を打つ。丸山選手は晴れやかな表情で語った。「どうしても最後に別大毎日を走りたかった。走らないと後悔するという気持ちがあった」  

 

大分県佐伯市出身で、大分東明高時代には全国高校駅伝で5位入賞に貢献した。別大毎日のフィニッシュ地点でもある大分市営陸上競技場(現ジェイリーススタジアム)は、日々練習した思い出の場所だ。  

マラソンの前日には競技場でリハーサルを手伝い、高揚感を味わった。当日はコースを駆け抜ける選手たちを生で見て、マラソンへの憧れを強くした。旭化成への入社が決まった時も「別大毎日で優勝したい」という目標を掲げた。  

 

2009年に旭化成入りしてから順調に成長した。4年目に走った全日本実業団ハーフマラソンでは、当時日本歴代8位の1時間1分15秒の好記録で優勝。マラソン挑戦への期待が高まり、自身もオリンピックを目指して練習を積んだ。  

 

だが、そこからはけがとの闘いだった。ハーフマラソンの半年後から左膝の痛みがひどくなり、14年に手術に踏み切った。マラソンデビューは16年のびわ湖毎日で、入社から7年がたっていた。初マラソンで2時間9分39秒のサブテンを達成したが、その後もアキレス腱(けん)を繰り返し痛めるなどけがが続いた。  

 

苦しい時期を過ごしながらも、22年の大阪・びわ湖毎日で自己ベストの2時間7分55秒を記録した。パリ五輪に向けたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の出場権を獲得したものの、体は限界に近づいていた。満足に練習できずMGCは48位に終わり、引退を決意した。そこを最後のレースにする選択肢もあったが、自身の原点でもある別大毎日への思いを指導陣に伝え、出場を決めた。  

 

引退後は、社業に専念する。けがに苦しみながら挑戦を続けた経験は「競技者にとってはマイナスだったが、これからの人生にとっては間違いなくプラス」と感じている。  

 

17年に別大毎日に初出場した際には、沿道からの声援の多さを感じた。「拍手だけでもうれしいのに、自分の名前を呼んでもらえると、苦しいところでもう一踏ん張りしないといけないという気持ちになる。本当にありがたかった」  

今大会は、多くの人への感謝を伝えるレースにもなる。目標は上位進出と、自己ベストの更新だ。「難しい競技人生だったが、頑張ればなんとかやれるというのを、中高生や実業団の選手に感じてもらえたら」。地元大分で、引退の花道を全力で駆け抜ける。【黒澤敬太郎】