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京都産業大学、10度目の挑戦も準決勝の壁を越えられず。ラグビー全国大学選手権

 

J SPORTS

 

試合後涙を流す三木と辻野

 

今年も準決勝の壁は高かった。10度目の挑戦、今年こそはと挑んだが国立競技場で流したのは悔し涙だった。

京都産業大学明治大学の準決勝は試合開始から間もないうちに、SO(スタンドオフ)吉本大悟(現2=東海大仰星)が脳震盪で無念の負傷退場。代わって吉本と同学年で同じポジションを争ってきた、奈須貴大(現2=光泉カトリック)が出場となった。前半4分、スクラムから左サイドにキックを蹴り込まれ、先制のトライを献上した。

 

最初のトライを決めた西

 

続く6分、敵陣でのスクラム。この試合、京産大の勝利のカギとなるスクラムで2回ペナルティを奪い、敵陣深くのラインアウトモールとなった。後方でボールを持っていたLOソロモネ・フナキ(現3=目黒学院)がタイミングよく、WTB(ウィング)西浩斗(済3=熊本西)にパス。そのままダイナミックにトライ。選手権での目標として掲げていた「京産のWTBとしてトライを取り切りたい」という言葉通り、2試合連続で左サイドを突くトライとなった。

そこから前半17分、22分とディフェンスの隙を突かれ被トライ。5-19と点差を広げられる。それでも食らいつく京産大。前半27分、ラインアウトモールから一歩一歩ゴールラインへ進んでいく。

そこから展開し、相手の反則からタップで再スタート。LOフナキや、NO8(ナンバーエイト)シオネ・ポルテレ(現2=目黒学院)のパワーでじわじわ攻め込み。右サイドのSO奈須にパスを回し、そのまま相手のディフェンスをかわしてインゴールへ。12-19と点差を詰める。そこからFB(フルバック)辻野隼大(済3=京都成章)がPG(ペナルティゴール)を2本重ね、1点差まで迫った。

前半残り1分、点差を詰めたまま後半へ繋ぎたい京産大。しかし、自陣でペナルティを犯してしまう。攻め続ける明大はラインアウトモールで、そのまま進みトライ。18-26と点差をつけられ、悪い流れを断ち切れないまま後半へ。

後半からも明大の素早いパスを止められず、後半1分と6分に追加点を許し18-38と20点差まで引き離される。ここから逆転に向けて、得点していきたいが、ゴールラインが遠い。劣勢でも点差をつけられず、終盤で逆転していくというのが京産大の勝利の方程式だ。これまでにないピンチを迎えた。

 

さらに後半20分、スクラムから展開し、ディフェンスの薄い部分を狙われ被トライ。後半からテンポに乗れず、苦しい時間帯が続く。それでも意地を見せ、後半26分にはFL(フランカー)日吉健(法3=大産大附属)の激しいタックルで相手のノックオンを誘い、マイボールスクラムへ。これまでこだわり続けてきたスクラムでペナルティを奪った。最後はラインアウトモールに14人が参加し、取り切った。

残り10分、20点差。少しのミスも許されない状況。しかし後半34分、相手のアタックに必死に食らいつくも、前へ前へと進んでくる明大を止めきれない。こだわってきたディフェンスが上手く機能せず、再び引き離され25-52となった。

 

ラストプレー、魂のモール

 

ラストワンプレー、最後はここまでこだわり続けてきたラインアウトモール。1つの塊になってみんなで押し続け、最後にトライを奪ったのはNO8テビタ・ポレオ(現4=日本航空石川)。グラウンディングと同時に試合終了のホーンが鳴った。また、今年も大学選手権決勝進出、そして日本一には届かなかった。

今年こそはと挑んだ、10度目の準決勝。明大の速いテンポの攻撃と、ラインアウトの正確さを前に、試合の主導権を握ることが出来なかった。試合後、廣瀬佳司監督は「もう、ここに挑戦し続けるしかないと思っている。そうしたら、いつか壁が低く感じる時が来るのではないか」と話した。3年連続国立の舞台を経験しても、それでもまだ高かったこの壁。また1年、神山の地で鍛錬を重ね、強い武器を身に着け、準決勝の壁を破りたい。

1年間キャプテンを担ってきたFL(フランカー)と三木皓正(済4=京都成章)。「三木しかいない」と満場一致で選ばれたが、重圧や責任は大きく、悩むことも多かったという。それでも、どんなに苦しい場面でも誰よりも身体を張るキャプテンは、部員90名の憧れであり希望だった。

「このチームを1人で背負い込む覚悟で春から始めて、彼らを頂上には連れて行けなかったけど、京産の文化を継承するものとして最後モールにこだわり続けたことが、やっぱり僕のこの4年間のすべてだと思う」と話す三木。彼のひたむきなプレーや低く刺さるタックルが、今の京産大のプレーに与えた影響は大きかった。

 

「自分がここにいた証として、タックルという文化を残したい」この言葉を三木はシーズン中、何度も口にした。チーム全員が持っている、ディフェンスへの高い意識、低く刺さるタックルは彼のDNAを受け継ぐ後輩たちが、これからも繋いでくれる。日本一の夢は叶わなかったが、90名の部員にとっては日本一のキャプテンだった。

国立のグラウンドに最後まで残っていたのは辻野と日吉だった。チームの中でも特に三木を尊敬し、ともに過ごしてきた時間の長かった2人。「準決勝で負けた悔しさをこれからの1年間、絶対に忘れてはいけない。壁を越えられるのは俺らしかいない、歴史を変えるためにこれからみんなでやっていこう」と話したという。三木や4年生を決勝に、頂上に連れて行けなかった悔しさがまた彼らを強くする。

 

去年の主力が多く抜け、難しい1年だった。しかし、強くなることを諦めなかった彼らだったからこそ、ここまでたどり着くことが出来た。

メンバー外の4年生を中心に、たくさんの応援を届けてくれた部員たち、暑い日も寒い日も支え続けてくれたマネージャーたち、選手とまた違った形で最後の1年支えてくれた主務、技術もラグビー選手としてのあり方も教えてくれたコーチ陣、離れたところで暮らしていても変わらず味方でいてくれた家族、そしてどんな時も日本一になることを信じ続けてくれた全国のファン、すべての人に感謝を込めて、三木組の1年は幕を閉じた。そして次の世代が頂上へ連れて行ってくれるその日まで、彼らの挑戦は終わらない。

 

文:藤田芽生/写真:藤田芽生、大谷賢乃介

  (京産大アスレチック)