「世界の亀山モデル」から20年…名古屋から1時間の“ナゾの終着駅”「亀山」には何がある? から続く

 名古屋駅から電車に乗って、亀山駅までやってきた。亀山駅の周囲を歩き終え、このままきびすを返して名古屋に戻るのもいい。だが、どうせ関西本線に乗ってここまで来たからにはその先に抜け、文字通り“関西”に突入するほうがいいだろう。というわけで、亀山駅からはさらに関西本線を乗り継いで奈良方面を目指すことにした。

 亀山駅はJR東海とJR西日本の境界駅だ。そして亀山駅まではJR東海の交通系ICカード「TOICA」のエリア。もちろんTOICAエリアならばSuicaもPASMOもICOCAもなんだって使えるわけで、筆者はいつも使っているSuicaで亀山駅までやって来たのである。

 

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便利だけど意外と“不便”な交通系ICと“初めての技術”

 で、問題はここから先の旅である。ご存じの方も多いかと思うが、エリアをまたぐ場合、大抵の交通ICカードが使えないのだ。亀山駅はJR東海とJR西日本の境目、おまけにそもそも、亀山駅から西側のJR西日本の関西本線区間は電化区間でもなく気動車が走る超のつくローカル線である。そんなところでSuicaを使おうなど、まるで甘い発想なのではなかろうか。

 そんなわけで、仕方なくきっぷを買おうとしたところで気がついた。なんと、関西本線亀山以西、JR西日本エリアでも交通系ICカードが使えるというのだ。朝夕の通勤通学時間帯ならまだしも、日中にはほとんど乗客のいない無人駅も多くあろうというローカル関西本線でも、きちんと交通系ICカードを利用できる。

 それも驚くべきことに、無人駅では駅の改札機ではなく車両の中に設置された端末にカードをタッチすればいいのだとか。ふむ、これなら安心して関西本線の旅を続けることができますね……。便利になったものですね。

 ……などということをJR西日本の広報氏に話していたら、「実は初めての技術をいろいろと使っているんですよ」と教えてくれた。

 初? 初めて? そう言われても申し訳ないけれどピンとこない。だって、駅にIC改札機があるのは当たり前だし、車内にタッチする端末があるのは全国各地の路線バスでおなじみだ。バスでもやっていることなのだから、鉄道でやってもそれほど特別なことでもないのではないか。

 いや、もしかしたら交通系ICカードは全国に多士済々あれども基本的には鉄道発祥だ。となると、何か事情があるのかもしれない。

こんな感じ❓

実はバスよりも難しい?「車載」鉄道の電源問題

 そこで、せっかくなのでこの“車載型IC改札機”の導入を進めたJR西日本の担当者に話を聞かせてもらうことにした。営業本部の早田良平さんと施設部の片山知也さんだ。そもそも、この車載型IC改札機、何が特別なんですか?

「鉄道車両にIC改札機を載せるというのはいろいろとハードルがあるんです。鉄道車両はもともとさまざまな設備を搭載しています。IC改札機をそこに新たに組み込むとなるとどうしても苦労が多い。たとえば、IC改札機を動かすにはもちろん電気が必要ですが、実は鉄道車両って電気の配線ひとつ新しく通すのも難しいんです」(片山さん)

 

 車載型IC改札機が導入されたのは関西本線加茂~亀山間で5線区め。2019年3月の境線への導入を皮切りに、2020年3月には和歌山線(和歌山~五条)、2021年3月に関西本線(加茂~亀山)のほか七尾線や紀勢本線(紀伊田辺~新宮)と導入線区を拡大してきた。このうち、境線と関西本線は非電化路線だが、そのほかはすべて電車が走る電化路線だ。

 電車ならば電気をふんだんに取り入れて走っているのだから、電気に苦労することなどないと思いがちだが、実際にはそうではないという。

 車両の中には走行に必要な装置から空調、車内ディスプレイなどさまざまな電気機器があり、それぞれの配線が巧みに張り巡らされている。その中に、車載型IC改札機を加えるというのは車両関係の部門との調整も必要になる作業だというわけだ。実はバスなどの自動車よりも、鉄道の方が新たに電源を得ることは難しい。

「さらに、バスですと基本的に車両1台で完結するのが一般的ですが、鉄道の場合は複数の車両を連結して走りますよね。そうなると車載型IC改札機も他の車両と連携しなければいけません。車両間をつなぐケーブルを使うこともできますが、それが難しい場合もあるので無線LANを利用しているケースもあります」(片山さん)

 また、鉄道車両はいつも同じ編成で走っているわけではなく、運用によって車両を切り離したりくっつけたりすることもある。車載型IC改札機はこのようなあらゆるパターンに対応させなければ意味がないのだ。

集中する通学時間帯の学生と“ワンマン”対応

「基本的に車載型IC改札機は車掌の乗務しないワンマン線区での導入を前提としています。従来、ワンマン線区では後ろ乗り前降り、つまり後ろのドアから乗車して、前のドアから降りるときに運転席の横にある運賃箱に運賃を入れて降りていただく仕組み。車載型IC改札機を導入した線区でも、このパターンは同じです。車載型IC改札機には入場用と出場用があり、後ろのドアには入場用、前のドアには入場用に加えて出場用を置いています」(早田さん)

 こう早田さんは話すが、これまた実際の現場ではさまざまなケースが起こりうる。ワンマン運転が行われているローカル線区では通学時間帯の数本の列車に学生が集中する傾向があるが、その場合には前から乗車する乗客も少なくない。

 また、学校の最寄り駅では一度に大勢の学生が下車することになり、車内に1台だけの出場用改札機だけでは降車に時間がかかりすぎてダイヤ乱れの原因になってしまうのだ。

「そこで、そうした駅では駅にも出場用の簡易改札機を設けることで、車内・駅どちらの改札機にタッチしてもいいようにしています。1列車だけで100人降りるような駅もありますからね」(早田さん)

 ちなみに、有人駅では車内の改札機ではなく都市部などと同じように駅に設けられている改札機にタッチする。そういった駅では車内の改札機は機能を停止しており、使用できなくなっているというあんばいだ。

あれ、「改札機が移動し続ける」ということは…

 ここで気になるのは、車載型IC改札機は“移動する”ということだ。駅によってICカードから引く運賃額はもちろん異なる。となると、“いまどの駅か”を改札機自身が把握していなければならない。路線バスなどでは運転手が手動で切り替えているが、鉄道ではどうなのか。

「運転士にできるだけ余計な負担をかけず、安全安定の運行に集中してもらうという前提から、車載型IC改札機は自動で駅を切り替えるようにしています。使っているのはGPS。GPSを用いて緯度経度を取得し、そこからどの駅かを判断して切り替えています。

 GPSですとトンネルに入った場合にどうなるのかとか、誤差が生じた場合はどうなのかという懸念もありますが、GPSを2台使うこと、さらにトリップメーターも合わせて活用してトラブルが起こらないようにしています」(片山さん)

 こうしたテクノロジーの活用に加え発車前に運行データを設定、A駅を出発したら次はB駅、というデータを車載型IC改札機自身が持つことで、より確実な“駅の切り替え”を実現しているという。

バスとは何が違う?

 これまでは、車内に表示されている運賃表示器を運転士が手動で駅ごとに切り替え、整理券番号を確認して乗客自身が運賃を確認して支払っていた(つまりバスと同じだ)。となると、運転士が駅の切り替えを忘れると誤収受につながることがありうる。その点、GPSによって自動で切り替わる車載型IC改札機ではそうしたミスも防ぐことができるというわけだ。

 また、運賃計算の方法もバスとはまったく異なっている。バスは運賃表示器から運賃データを取得して、降車時にその金額を引く方法が一般的だ。だが、鉄道では運賃表示器からのデータ取得は行わず、車載型IC改札機を含むすべての改札機がエリア内全駅からの運賃データをあらかじめ持っているという。

「鉄道の場合ですと、たとえば最初に導入した境線の場合は岡山駅から特急『やくも』に乗車して米子駅からさらに乗り換えて境線へ、という乗車パターンがあるんですね。

 バスはひとつの車両で完結することが多いと思いますが、こうした乗り換えが発生するのも鉄道の特徴。当社では基本的に200km圏内でICカードが利用できるので、200km圏内すべての駅からの運賃データを改札機が持っています。

 なので、先の例で境港駅で下車する場合、境港駅の改札機が持っている“岡山から境港まで”の運賃を引くことになります」(片山さん)

 もう少しかみ砕くと、境港駅のIC改札機は境港駅から200km圏内の交通系ICカード使用可能駅からの運賃データをすべて持っている。一方、カード自身も入場時に“岡山駅入場”というデータを保持したままになる。出場時のタッチの際には境港駅の改札機が持っている岡山~境港間の運賃(ちなみに3080円である)を即座に引き落とすというイメージだ。

 よくよく考えると当然のことで、タッチされるごとに改札機が通信して運賃データを取得していたらいまのようなスピードで改札機を通ることはできない。あんな小さなIC改札機も、実は膨大な運賃データを内部に抱えているのである。

 こうした仕組みは車載型IC改札機ももちろん同じ。ただし、移動するので運用線区各駅のデータをすべて持っているということになる。

 と、お客の立場からすればタッチするだけで鉄道を利用できてしまう気軽なIC改札機。だが、そのシステムはかくも複雑なのだ。それに加えて、“移動”と“車両への搭載”というハードルをクリアしなければならなかった車載型IC改札機。毎日交通系ICカードを使用している都市部の人たちにとっては何にも特別には見えないが、実にスゴいやつなのである。

「都市部の方は慣れていますが…」

「ただ、都市部の方々はIC改札機に慣れていますが、車載型IC改札機を導入した線区はいずれも地方ですので、お客さまや乗務員、駅係員を含めてICカードに馴染みがない人が多いんです。

 だからどのようにして広くご利用いただくかが課題でした。境線では沿線の高校などにもICカードと改札機の説明に足を運んだと聞いています。単に鉄道利用だけでなく、買い物などにも幅広く利用できるというメリットを伝えていかなければならないと思っています」(早田さん)

 ちなみに、車載型IC改札機を導入した線区を中心とした地方都市では、ICカード定期券を持ちながらもタッチせずに運転士に見せるだけで乗降する学生もいるとか。ICカード定期券の券面には磁気定期券と同じように区間・期間が書かれているが、規約上ICカード定期券は“タッチする”ことがマスト。見せるだけで改札を通過したり列車から降りるのは正しい乗車ではないのだ。

「実際に運用をはじめてみると、思った以上にご高齢のお客さまのご利用が多いんですね。いろいろと現場の話を聞いてみると、降りるときに財布からお金を取り出して運賃を入れるのがどうしても手間になっていたようで。当初は学生さんのご利用が中心だと思っていたので、これは予想外でした。ですが、確かにご高齢の方にも便利にお使いいただけると思いますね」(早田さん)

駅にIC改札機を“おけなかった”理由

 そもそも前提として、交通系ICカードはある程度の利用があるエリアが対象だ。そうした中でも年々エリアは拡大しており、ワンマン運転のローカル線でも一定の利用がある線区では車載型IC改札機のニーズがあると判断したという。コロナ禍の影響もあって非接触による運賃収受への需要も高まっているだろう。

「駅にIC改札機を置くとなると、保守点検も含めて結構なコストになるんですね。車載式型IC改札機ではそれが削減できると同時に、交通系ICカードというサービスを提供できる。そのメリットは大きいと考えています。これまでは導入が難しかったエリアでも、交通系ICカードを導入できるようになる。新たな選択肢が生まれたということですね」(早田さん)

 さらに今回JR西日本が開発したこの仕組み、地方私鉄やバス会社などからも注目されており、すでに同様の技術を応用して一部のバス会社への導入も進んでいるという。今後も広がりを見せていくことは間違いなく、ますます“交通系ICカード1枚”(というかSuicaならスマホやApple Watchだけ)で行動できる範囲が増えていきそうだ。

写真=鼠入昌史