大文字山-02/20 | カヌーイストなラガーマン

カヌーイストなラガーマン

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鮎釣り
旅行記
以上を徒然なるままに書いています。

天気:晴れ

メンバー:もみじの会8名
JR山科駅09:00~蹴上駅14:00
 
 
山科駅から毘沙門堂方面へと北上
 
 
その毘沙門堂の左方向へ行き、後山階陵を山頂方面の安祥寺川沿へと。
 
さて、この後山階陵、読み方は(後(のち)の山階(やましな)の陵(みささぎ))で、

「のちのやましなみささぎ」と読みます。
 
左大臣だった藤原冬嗣(775~826)の娘、順子(809~71)の墓だそうな(円墳)。
 
 
安祥寺林道を北上すると。。。。次々と崩落箇所が現れ。。。
 
 
ハイカーの踏み跡があるので、崩れてから数年間、こんな感じになっているそうです。
 
 
危険箇所とはいえ。。。。そういうところの方が面白かったりするもんですね。
 
 
急登で短距離のルートを選択
 
 
さくっと11時前に山頂到着。
 
 
早めにお昼休憩を済ませ、火床へと。
 
風がビュンビュン吹いているけど眺めはきれい
 
 
銀閣寺方面へと。
 
 
千人塚に到着。
 
この千人塚、文字通りたくさんの人骨が発見されたそうな。第二次世界大戦末期、日本軍が本土決戦に備えこの場所に高射砲を設置するために地面を掘ったところ、おびただしい人骨の入った壺がたくさん出てきたらしい。というのも、京都を追われた室町幕府13代将軍 足利義輝がこの地に中尾城を建設・拠点として、自分と父親を追い出した三好・松永の軍と戦い、その戦に破れたときの兵士の遺骨といわれています。
 
 
哲学の道に。
 
 
法然院に寄り道
 
奥のカメムシのような。。。。
 
 
そして石柱アートも。
 
 
再び、哲学の道へ。
 
哲学の道(約1.5キロ)沿いには琵琶湖疏水が流れています。
 
 
永観堂を通り過ぎ、
 
 
南禅寺の三門に到着
 
 
南禅寺法堂の天井の龍の絵。
 
明治時代の今尾景年画伯の作とあります。
 
 
次は「水路閣」
 
琵琶湖の水を京都市内に引く「琵琶湖疏水」事業、その疎水事業の一環として造られた水路橋がこの「水路閣」です。明治維新によって都が京都から東京に遷った以降、失われた活力を再び京都に呼び戻すため,琵琶湖疏水という事業に着手したそうです。疏水の水力で新しい工業を興し、それまで陸路に頼っていた物流を、水路によりスピーディに物資の行き来を盛んにしようという計画です。
その疏水事業を象徴としている「水路閣」、重厚なレンガ造りのアーチ橋は明治23年に建てられて以来、モダンな造りと南禅寺の荘厳な雰囲気が絶妙にマッチし、京都を代表する観光名所の一つになっているんでしょうね。
 
 
この水路閣の正面向かって右わきに階段があり、上に登ると水路閣を流れる疏水の流れを見ることができます。もともとは山の中に水路を通す計画だったのが、当初計画していたトンネルに天皇家の分骨があることがわかり変更となったのが現在のコースです。
 
 
この疏水分線を300m程南下すると、蹴上発電所水槽見張所にさしかかります。この発電所、「琵琶湖疏水」を利用した水路式水力発電所です。日本初の事業用水力発電所として明治24年に運転を開始し、今なお現役の発電所として電気を送り続けています。
ここでの発電が、西陣織機の機械化や国内初の路面電車の運行による電力需要を満たしたと言えます。
川の水力発電所はいくつもみたことあるけど、水路の発電とはね〜。この蹴上発電所は関西電力のCMにも採用されていましたね。パワーウィズハートですわ〜。
 
その琵琶湖疏水の陣頭指揮をとった田邉朔郎博士の銅像。東大の卒論で「琵琶湖疏水工事計画」を執筆したことから、卒業と同時に琵琶湖疏水の工事主任として招聘され、疏水事業、蹴上インクライン、蹴上水力発電所の建設、全てに関わったようです。
 
 
そして最後は「ねじりまんぽ」(蹴上トンネル)。
 
レンガが斜めに積み上げられて、トンネルの壁が螺旋状にねじれて渦を巻いているような感じになっています。「まんぽ」とは坑道の意味であって間歩(まぶ)と書きますが、京都では「まんぽ」 と呼んでいたそうです。ここ、何気に日本で一番有名な「ねじりまんぽ」のようです。
 
 
とまあ、この日も充実した山登りでした。