お別れ会には予想を遥かに上回る

本当にたくさんの方々が来てくださって

嬉しくてたまりませんでした。

 

闘病中は入院、通院もあったりで

幼稚園は休みがち

もしくは2時間だけと

なかなかお友達と会える機会や

 

私自身も保護者の皆様と

会ってお話しできる機会も

少ないし

気持ち的にも余裕が無かった。

 

身内と幼稚園の先生と

お世話になった医療従事者の方々

くらいかな…と思っていましたが

 

そんなことは全然無く

ご近所さんや幼稚園のお友達

お姉ちゃんの

幼稚園時代のママさんたちなど

お忙しい中、来てくださいました。

 

渚は間違いなく

たくさんの方に愛されていたんだな

と胸がいっぱいです。

 

心よりお礼申し上げます。

 

 

 

以下は記憶が鮮明なうちに

渚が息を引き取る少し前から

息を引き取った4月30日のことを

書き留めたいと思います。

 

そして、旅立った今

オブラートな表現は止めますので

 

現在闘病中、あるいは

うちと同じで闘病を

終えたばかりで

お辛くなる方は

このあたりで読むのを

ストップしていただきたいと

思います。

 

また少し長くなると思いますが

お付き合いいただければ

嬉しく思います。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

4月27日

 

渚が亡くなる3日前

幼稚園の園外保育があって

みんなは幼稚園からバスで

こいのぼりを見に行くことに

なっていた。

 

渚は登園はとても無理だったので

特別に現地集合させていただきました。

 

この頃はもう

両目は閉じていて

たまに右の瞼がピクッと動いて

ほんの少し開くぐらいだった。

 

口も閉じることが出来なくて

半開きの状態。

 

傾眠状態。

 

指さしなどは

もうできなかった。

 

それでもお友達が

「なぎちゃーん」

「なぎさちゃん、お花いっぱいだよー」

「こいのぼり泳いでるよ!」

ってたくさん声かけてくれて

嬉しかった。

 

もう笑うことさえできなかったけど

それでも最後にクラスの皆と

会えたこと渚は分かっていたと

思うし嬉しかったと思う。

 

年長さんになってからの

新しいクラスのカラー帽子。

 

初めてかぶったね。

 

間に合って良かった。

 

最後だったけどちゃんと

年長さんになれたんだよ。

 

 
 

 

 

 

そして、帰宅してからは

嚥下障害で

食べること、飲むことも

ほぼ無理だったので

まずは皮下から脱水を防ぐための

輸液を往診医さんの指示のもと

訪看さんに来ていただき

していただきました。

 

夕方からは

照射をしに行きました。

 

こちらもこれが最後の

照射になってしまいました。

 

頑張ったね。

偉かったね。

治ると信じてたよね。

元気にまだ遊びたかったよね。

 

本当のことを言えなくて

助けてあげらなくてごめん。

 

 

あの子はどんな思いで

照射室に入っていって

一人で頑張ったんだろうと思うと

今でも胸が苦しいよ。