結局一睡もできないまま

朝を迎えた。


コロナ対策で

なーちゃんのPCR結果が出るまでは

個室だった。


ずっとザワザワしていた。


今思えば

あれもこれも

病気のせいだったんだを繰り返し

何度も謝った。


朝、早い時間に先生に呼ばれ

全て揃っている大学病院に

転院、それもなるべく早くと

言われた。


明日には転院できるよう

手筈を整えますと言われ

脳外科の先生からお話しが

あります。ご主人も来れますか?

と尋ねられたのですぐに連絡。


夫は週末まで丸々休みを

頂いていたので

すぐに準備して来てもらった。


脳外科の先生、小児科の先生

看護師さんとたくさんの方に

囲まれて話しは始まった。


結果は変わらずMRIと

なーちゃんに出ている

症状からして

脳幹グリオーマである可能性が高いと。


ああ、やっぱり…。

違いますようにと願った思いは

届かなかった。


転院先の病院なら

放射線治療もできるし

脳外科と小児科と連携とできるし

県内にはそこともうひとつしかないと

言われた。


最初に提示された

転院先は自宅からすぐ側の

有名な大学病院。


私達に他の選択肢を選ぶ理由など無かった。


エアコンの風や鼻炎だったのかもしれない

気のせいだったかもしれない

後ろで聞いていた看護師さんが

鼻を何度もすすっていた。


お医者さんたちの

険しい顔で、察した。



治らない病気だ、と。



そして、ここでは生存率には

触れられなかった。

厳しいとは言われた気がするけれど

さらに詳しい話しは大学病院で

お話がありますと。


私たち夫婦も

その先のことはまだ考えられず


いや、

向き合うことができなかった。



とにかく早く転院したい

考えるのはそれからだ。


きっと互いにまだ

何かの間違いであってほしいと

思っていたのだと思う。


そこから転院するまでの

記憶はぼんやりしている。


ただ、なーちゃんの

右腕がとうとう上がらなくなった。

右足も支えることができなくなった。

起き上がれなくなった。

にっこり笑った時に

右側に違和感。

水分をとるとむせるようになった。



悪化するスピードの速さに

ただただ、恐怖を感じ涙した。



何が起きている?

なーちゃんは助からないの?


ずっと泣いていた。


辛いのは

なーちゃんなのに。





そして、なーちゃんの

闘病生活は始まる。