阪神淡路大震災から22年経ちました。
当時5歳の私も今年で28歳になります。
1995年1月17日にあの大きな地震が起こって以来、
地震は私の心を恐怖で埋め尽くした。
ずっとずっと何年も
あの地震が起こってから、1月はしんどかった。
楽しい行事をしていても、なんだか地に足がついていない感じがして、もう一人の自分が自分を見ているようで居心地が悪かった。
各地で震災が起こるたび、使命感なのか、同じ被災者の立場として被災地を訪れたり、寄り添っていたはずなのに、まず大切にしなくてはいけない自分のケアを怠り、向き合えてなかったのか、今日という日はなんだかんだと目を逸らしてきた。
あれから22年が経ち、今年初めて震災が起こった日に神戸の街に足を運ぶことができました。
きっかけは、きっと去年撮影した映画「光」
私が演じた役も、自分の居場所を探していた。
どんな形で社会と、人と、繋がる事が出来るのかずっとずっと探していた。
役を演じた事で、”自分”という存在を否定し続けていた役と私自身が重なり、光が見つかった時、少し解放された気がした。
今年は一度向き合ってみよう。美佐子という役が光を見つけられたのだから、私も一筋の光を見つける事が出来るのではないか?
そんな気持ちになり、神戸に戻ってくる事が出来た。
覚悟を決め、神戸に向かいました。
だけど
東遊園地に着いた時、
竹灯籠を見た時、
敢えて見ないようにしていた阪神淡路大震災の写真集や資料を見た時、
手が震えました。心が震えました。
足を運んだからと行って、乗り越えられたわけではない。
一生この傷とは付き合っていかなくてはいけないんだ。改めて感じましたが、いいきっかけになりました。
たくさんの物が壊され、たくさん涙が流れた日、
それは何年経っても忘れて欲しくない。
今回神戸を訪れ、震災を知らない世代や人々と関わり、やっぱり自分の口から伝えていかなくてはいけないんだと実感しました。
今はその気持ちでいっぱいです。
亡くなった6434人の方々のご冥福をお祈りします。
地震にも負けない
強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きてゆこう傷ついた神戸を
元の姿に戻そう
支えあう心と明日への
希望を胸に
響きわたれ僕たちの歌
生まれ変わる神戸の町に
届けたい 私達の歌
しあわせはこべるように