東日本大震災から今日2016年3月11日で5年目を迎えます。

私は阪神淡路大震災の時に5年間暮らした仮設住宅を離れる事が出来ましたが、今もなお、仮設住宅で暮らしている方がたくさん。復興には時間がかかり、辛く、苦しく、大変な思いをしていると思いますが、心の拠り所を何か1つでも見つけられたら良いなぁと感じています。

とは言え、私の場合ですら毎日生活する事に必死でどこを拠り所にしていいのか、どう頑張ればいいのか、何を希望に日々過ごしていけばいいのかわかりませんでした。

人生には言葉では片付けられないことがたくさんあります。
悩みは人それぞれですし、トラウマや恐怖感も人それぞれ。
地震を経験して酷いトラウマになった人もいれば、そうではない人もいる。
私の場合、トラウマによるPTSDの症状が多く、未だに少しの揺れですら震えがとまらなくなったり、高いところや、エレベーター、飛行機など無重力を感じたり、落ちるような感覚があると、冷や汗がでて、心臓がドキドキしてとてつもない恐怖を感じることもあります。

周りからみると大袈裟だなと思われることもしばしば。ですが、トラウマというものは体に染み付いて自分ではどうすることも出来ないから仕方がない。
だから、周りにそんな人がいたら、どうかそばにいてあげてください。
背中でもさすってあげてください。
きっと落ち着きます。時間はかかるかもしれないけど。

忘れたくても忘れられない思い出です。
伝えていかなくてはいけないけど、忘れたい過去。
それでも伝えようと思うのは、私が今の仕事をしているからです。
私が伝えて、大きく変わる事はほとんどないに等しい。
ですが、地震後の3.11の時に訪れた子どものとある言葉が忘れられません。
阪神淡路大震災の時にボランティアでかけつけてくれたお兄さんや、お姉さんたちに直接恩返しする事は出来ないけど、家がなくなって、将来に希望もなく、仮設住宅での生活が長かった私が、こうして好きな仕事につけてありがたい事に毎日仕事が出来ている。

少し前までは自分の為だけにやっていた仕事が、少しだけ他の人を巻き込めるようになった。
だから、毎年、毎年、しつこいかもしれませんが
こうして自分の想いを書き残しすることにしています。
年々、考えが変わります。
それが成長している証なのかもしれません。
毎年言っている事が変わるかもしれません。
ですが、こうしてたまに真面目な事を考える事によって日々の出来事が大きく、感謝の気持ちを改めて感じられるような気がします。

そして、人それぞれ、残りの人生をどう生きていきたいかだと思います。
起きた出来事は消えない、時間も取り戻せないし、失ったものは帰ってきません。
だから、私は一生懸命生きたいと思います。
一生懸命ってよく耳にするけど
がむしゃらに頑張るのではなく、ただ突っ走るのではなく、笑って、泣いて、怒って。サボってもいい、たまに怠けてもいい、だけど、どんなに嫌な事があっても、どんなに辛いことがあっても、生き抜くこと、死なないこと。

地震に限らず、いじめだってそう。
だから、いじめで苦しんでいる人にもお願いしたい。
生きていれば、絶対に絶対に
生きててよかったなって思える瞬間がある。
それを感じられるチャンスやその数は、人それぞれかもしれない、けど絶対に来るし、絶対にあるから、そのチャンスを掴んで欲しいです。


最後に、私の好きな言葉を贈ります。

人生を100だとしたら、悲しいときはしくしく泣いて4×9=36 うれしいときはハハと笑って8×8=64 足したら全部で100になる。だから、人生はしあわせの方がおおいんだよ。