5日めの朝もまた、旧市街を目指す。もう少しで街を出る所で、エドワードは立ち止まる。

「まただ・・」

「何?」

「また血がついてる・・」

「ねえ、こっちにもそれらしいのがあるわよ」

エリスが少し離れた壁を指差す。気にして見てみると、あちらこちらの壁に血の痕のような染みがある。
かなり時間が経ったようなものも。

「キメラが入り込んでいるのかしら」

アルモニの屋敷は街から距離があるため、もしキメラが入り込んで襲ったとしてもわからない。
しかし、街は平穏そのもので、そんな騒動があったようには見えない。

「ねえ、兄さん。やっぱり大佐に報告しようよ。ヒースガルトの軍が動いてくれなくても、大佐ならなんとかしてくれるよ」

「あぁ・・」

気乗りはしないが、今はそれしか手はない。そのために、今日は一日中教会で勉強した。

「ねえアル。どうかな、あたしの錬金術。少しは進歩したかな?」

アルフォンスは、自分とエドワードが錬金術で咲かせた花とアルモニが術で芽ぶかせた双葉を見比べる。

「うーん、そうだね・・・悪くないと思うよ。この分ならきっと、いつか教授を見返してやるくらいになれるよ。ねえ、兄さん?」

「ーーそうだな」

「ほんとに?やったあ!」

「さてーーと、今日はもう帰ろーぜ」

「そうだね・・・アルモニも疲れただろうし」

「あたしなら平気よ。ほら、まだ元気いっぱいだし。それに、エドたち、あと何日もいないんでしょう?だから、今のうちにーー」

全部言い終わらないうちに、意識が遠のいた。ふわりと身体が浮いた気がした。

「うわーーっ!おい、大丈夫かよ!?」

アルモニはエドワードの背中に倒れ込んでしまった。

「あ・・ごめん・・ちょっと目眩がしちゃって・・やっぱりあたし、少し疲れてるみたい・・」

「顔色も悪いわね」

「アルモニ、大丈夫?歩ける?」

「う、うん・・平気・・大丈ーー」

床に手をついて立ち上がろうとしたが、言い終わらない内に倒れる。

「お、おい!大丈夫か!アルモニ!アルモニ!何だよ、こんな疲労困憊するまでがんばらなくてもーーなぁ、アル、エリスーー」

上半身を抱き起こすと、呼吸がうまく出来ないのか肩が大きく上下する。

「あ・・あーー」

「アル?」

「あ・・あああーーに、兄さん、あ、アルモニの背中ーー」

震える鎧の指で、アルモニの背中を指さす。動揺するアルフォンスとは対照的に、エリスは落ち着いていた。

「エド、アルモニの背中を見て」

「何だよ、背中?ーーなっなーーッ!?」

アルモニの背中には鳥のような白い羽根が、柔らかな光りを伴い広がっていた。

「羽根だ、羽根だよ兄さん。アルモニの背中に、天使みたいな羽根がーー」

「なんだよこれ。どうなってるんだ・・?なんだってヒトの背中に羽根がーー」

「はぁ・・はぁ・・」

2人が慌てている間も、アルモニは苦しそうに息をしている。

「アルモニ、大丈夫?アルモニーー」

「だめだ、ひどく衰弱してる。まずいよ」

「くっ・・何が起こってるんだ。とりあえず教授の所に戻ろう」

「エド、コートを脱いで」

「あ?何で?」

「アルモニの羽根を隠すのよ」

「あぁーーそうか。そうだよな」

エドワードはコートを脱ぐと、アルモニの体を包んだ。





列車事故で足止めされて、4日めの朝を迎えた。
今日もサンドイッチをいれたバスケットを大きく振り、アルモニは朝からご機嫌だ。昨日、エドワードに錬金術を指南する約束を取り付けたからだろう。
アルモニを先頭に街を歩き、もう少しで街を囲う塀が途切れるという時、エドワードがふいに立ち止まった。

「・・・・・」

顔だけ向けて塀を凝視するエドワードに、エリスが振り返る。

「エド、どうしたの?」

「この壁、何かついてる・・血痕?・・」

壁をなぞりながら、エドワードは云った。

「エド~早く行こ~!」

「あ、あぁーー」

気にはなったが、アルモニに急かされてまた歩き出した。


太陽が真上に昇るまで、教会で錬金術の基礎知識を2人から学ぶ。
教材は、ヴィルヘルム教授の書斎からこっそり持ち出したものだ。
研究室には立ち入ることは出来ないが、屋敷の書斎の出入りは許されていた。
無論、賢者の触媒の研究書はないが、過去の研究書や他の術師の著書、参考文献はちょっとした図書館並みにある。2、3冊持ち出してもバレる心配はない。
講義が終わると、湖の畔に移動して昼食にした。サンドイッチを頬張りながら、近況を話す。

「グレタさんは1年くらい前からかな。パパの研究を手伝いたいって来たの。マーゴットさんは最近だよ。2週間くらいかな」

「アルモニは、錬金術で何をやりたいの?」

アルフォンスが訊ねると、アルモニははにかみながら答える。

「あのね・・花を咲かせるようになりたいの」

「もしかして・・エーテルフラウ?」

「ーーうん」

「そっかぁ・・教授の手伝いがしたいんだね」

「さてと、午後の講義を始めるか」

エドワードがパンくずを払いながら立ち上がる。

「午後はお待ちかね、錬金術の実技だ。なんか種を拾ってこいよ。術で咲かせて見せてやる」

「ほんと!」

「アルモニ、片付けはやっておくわ」

「ありがとう、エリス!」







アルフォンスが鎧の身体を腹にぶち当てると、キメラは花を吐き出し、呆気なく気絶した。
吐き出させるのに成功はしたが、既に花は胃液で溶け始めていて、花びらが数枚残っているだけだ。

「うわぁ・・これじゃ使い物にならないよね、アルモニ・・」

「うん・・多分」

「はは・・なんてこった」

籠の中に残ったのは、たった一輪。

「どうするの?もう一度摘みに戻る?」

「でも、残っていたのは蕾だったし・・」

今日は研究が進められない。中断することで、ダメになってしまう実験もあるだろう。何年も積み重ねて来たことが、たった1日で無駄になってしまうこともあるのだ。

「教授になんて謝ればいいんだ・・」

「大丈夫だよ、パパはそんなことで2人を責めたりしないよ。あたしからも事情を説明してあげるし」

「そうは云っても、科学者が自分の思い通りに研究が進められないほど苦痛なコトはねーんだぞ」

「ボクたちのせいで教授の研究が少し遅れてしまうんだ。教授の期待に応えられないのも悔しいね」

「ふ~ん・・何かよくわかんないけど、何だか大変そうね。そんなことより、ねえ、これなーんだ」

落胆するエドワードの前に、アルモニは弁当が入っていたバスケットを開いて見せる。中には、白い花びらを開かせた花が数輪。
それを一瞥したエドワードは

「ん?何だよ、そんなのただのエーテルフラウじゃんか。今はそれどころじゃーーって、エーテルフラウ!?」

「そんな、どうして!?」

「実は、あたしも摘んでたんだ。ちょっと小さいけど。これでもないよりマシでしょ?」

「うおおおおっ!アルモニえらい!よくやった!!」

「それで~この花のお礼代わりに、2人にお願いがあるんだけど・・」

踊り出さんばかりに喜ぶ2人に、アルモニはにっこりと笑う。

「おう!この際何でも聞いてやる!!」

「本当っ!?だったらね、やっぱり錬金術教えて!!」

「え?」

エドワードとアルフォンスは驚いたが、エリスは肩を震わせて笑いを堪える。

「見るだけでも勉強になるって言ってたけど、エドの錬金術って魔法みたいでスゴすぎて全然わかんないんだもん。だから、やっぱりちゃんと習いたいの。ね、お願い!」

「よりによって、そうきたか・・」

「どうするの、兄さん?」

「どうするって、そりゃあ・・・」

「錬金術が基本は、等価交換ーーよね?」

顔を見合わせて困惑する2人に、エリスが云った。諦めて教えたらと云いたいらしい。

「はぁ・・ったく、しょうがねえなぁ。わかったよ、教えてやるよ、錬金術」

「本当に!?」

眼を輝かせるアルモニに、エドワードは頷いて見せる。

「やった、やったあ!!ありがとう、エド!!」

「そのかわり、俺の指導は厳しいぞ」

「うん!あたしがんばる!」

跳ねるように歩くアルモニを微笑ましく思いながらも

「ーー兄さん、本当にいいの?」

「だって仕方ないだろ。それに、あんなに喜んでんだ。今更ダメとも言えねーよ」

「アルは反対なの?」

「そうじゃないけど・・」

「けど?」

「教授が反対している理由が気になるんだ・・」

温厚なヴィルヘルムが強固なまでに錬金術を禁止するのは、才能の問題だけなのだろうか。どうしても、それが引っ掛かっていた。
それを告げると

「なら、あなたたちが教えることで証明したら?アルモニの才能を」

と、エリスが事も無げに云った。