浪江町の海岸べりは、請戸港になります。
主人は小さい時から夏休みは、請戸の海へ毎日のように行っていたそうです。
私も子供が生まれてからは、毎年お墓参り、親戚巡り、請戸で泳ぐ、が夏の福島行事でした。
浪江町中から請戸に向かいました。
あの日のままに近いのでしょう。
相当高い津波が来たらしく、根こそぎ流されたのか
何もなくなり、360度が見渡せるようになっています。
叔母の話。
クラクションをならし助けを求めるひとたちに「必ず助けにくるからな!」と言ったまま
いきなり立ち入り禁止区域になり、助けに入る事が出来ずに引き返した人たちの苦しみはね。。。。
なんとも。。。生きていたのに助けに行けなかった無念さ。
しばらくして、多くの遺体が見つかりました。
請戸近辺で亡くなった多くの人は
その場所で見つかったそうです。
生きて助けを待っていた人も多かったでしょう。
従兄弟の話。
消防団の団員だったのに
人を助ける事も出来ず、自分の浪江町の瓦礫を片付ける事も出来なかった。
何も浪江のために出来ないままに出てしまったので
今は「浪江町臨時役場」で仕事をしている。
経営者であり、人徳のある人なのであちこちから
仕事の誘いを頂くようだが、お金の問題ではなくて、浪江の為に時間を使いたい、と。
賠償の問題、家族の問題、年齢的な事、浪江への思いも含め
考える事が広く多すぎて、まだどうして良いかわからない。
しかし、いつまでも、こうしてはいられない。
立ち上がって行かなくては、、、とは思っているのだが。。。と。
支援の仕方も、難しく
私もうまく伝えられないし
どうするのが、一番いいのかも、益々わからなくなってしまった。
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