オーサー氏「歩み止めず、未知の領域」
フィギュアスケートの五輪王者が現役を続けることはまれだ。続けるにしても休養をとる。しかし、結弦はソチ五輪後も歩みを止めなかった。そんな選手は見たことがなく、それ以降はコーチの僕にも未知の領域で手探りだった。
6年前に初めて会った時の結弦は目立ちたがりで夢あふれる、スケートを愛する少年。僕はほかの選手同様、結弦に練習スケジュールを指示し、基本的な訓練を徹底させた。
しかし、時とともに選手、そしてコーチとの関係も変わる。ハビエル・フェルナンデスは今も常に、僕らに(演技の)方向性や練習でアドバイスを求める。一方、結弦は自分の考えがあり、全てを自分でコントロールしたい。あれこれ指図する必要がないタイプだ。
昨秋、足首をケガした時も、経過報告は随時受けたけれど、メンタルトレーニング、治療は彼の責任でやっていた。でも、ケガした直後、僕は一つだけ言った。「世界最高得点での優勝は無理でも、五輪の連覇を目標にするなら間に合う。夏の時点で五輪に出られる状態まで仕上がっていたから、短期間で戦える状態に戻るよ」と。それが結弦に希望を与えたと思う。いつもは出遅れると、埋め合わせようとしゃかりきになる結弦が、周囲の意見を聞き、ゆっくりと段階を踏んでいた。
彼を通じて、選手にはいろいろなタイプがいると、改めて学んでいる。コーチの仕事は、選手たちがやりたいことができるツール、スケートの基礎を与えることだって。それを使って、選手に個性を羽ばたかせてもらえればいい。
この6年で結弦には環境の変化もあった。ソチ後、急激にスター、僕には理解も及ばないようなレベルのスターになった。多くの人、ファンの人生に影響を与えているし、不可能な期待もたくさんかけられる。
そんなスターの立場を結弦は理解し、責任も自覚している。神様が、「スターという地位との付き合い方」という才能も与えたんだと思う。
プレッシャーは相当だろう。練習拠点のトロントでの結弦は常に「オン」の状態だ。まず第一に「素晴らしいスケーター」でなければいけないのだ。練習一色で、(日本より人目のないカナダでも)誰かと遊ぶこともほとんどないし、あまり人と関わらない。
6月、神戸でのアイスショーのリハーサルで、昔のように、他のスケーターとはしゃぐ姿を見てうれしかった。「楽しい時間を過ごしているんだな」と。今、結弦にそんな時間はほとんどないから。
疲れもあるだろうに、3月末には現役続行を正式に告げてきた。驚いたけれど、予感はあった。彼は勝つことが好き。スケートで競うことが彼の血に流れている。それが羽生結弦という人なんだ。