幼い頃から感じていた私の違和感

20日 10月 2025
みなさま、私は現代版魔女ミサエと申します。

現代版ですから、古臭い魔女ではありません。

感性はとてもみずみずしいですが、地球での年齢は71歳です。

私は常に新しい何かを見たい、知りたいという衝動があります。

特に、私の感性が刺激されるものに興味を持って突き進みます。
強い好奇心を持ったものには、とことんのめり込み、猛烈にはまり、充分に堪能すると、冷めてしまいます。

そのことで、行き先を失いますが、心をリセットしゼロにします。
そして、また果敢に新たな道を見つけて、そこに進みます。
私の人生はその繰り返しです。

行きつく先は「天」に向かっています。

生きている間は、泣いたり笑ったり、地球を楽しみます。

人を好きになったり、裏切られたり、嫌われたり、愛されたり・・・。
結婚したり、離婚したり、子育てをしたり、いろんな仕事をしたり、病になったりと、それらの機微をしっかり味わって、後悔なく生きる。

人生を全うするまで、美しく豊かな心で生きなさいと、内側の声が常にそう語りかけてきます。

私は、頑固で真面目なところがありますが、とても柔軟でもあります。
斬新な生き方や作品や物に強く惹かれます。

しかし、昭和29年生まれの私は「みんな同じようにやりましょう。」という社会や学校教育だったので、それに強い反発心がありました。

私は、幼い頃から、みんなと同じようにが苦手でした。
周りの子どもと同じようにやっても、どこか満足できないのです。
みんなと同じやる、それが何の意味があるのだろうか、もっと自分流に面白くしたいとずーっと悶々としていました。

周りに合わせなければいけない私と、合わせたくない私はぶつかり、しかたなく折り合いをつけていました。
すると、当然、中途半端なものや作品が出来上がり、私の表現のクオリティが下がります。

まあ、自分はそんなもんだと、自己評価は低くなります。

また、私の家はきびしい男尊女卑の考え方、男は偉いから女は男に仕えること、兄は妹や弟より特別な存在だなど私は耐えられない子ども時代を送りました。
お前は女だからと、かなりきびしく抑えつけられ、学校では活発だと(いつも小学校の通信簿には、そう書かれていた)私は家の中では、いつもしゅんとして肩を落として過ごしていました。

しかしながら、持ち前の独特の好み、強い個性的な部分はなくなりませんでした。
それどころか、大きくなるにつれ、自分の好みや生き方はっきりしていきました。
家では兄よりが目立たないようして、外では、本来の好奇心いっぱいの元気な私は、自分のエネルギーを思いっきり表現できませんでした。
中途半端なエネルギーで生きていたのです。

しかしながら、普通の子どもなろうとしていたなんて、とても不自然です。

今の子どもたちの中にも、思い切り自分を表現できない繊細な子どもがいると思います。
感性のセンサーが鋭いゆえに、周りの大人の心を読みすぎて、傷つき疲れてしまいます。

私の場合、今では男女差別ということを学び、人生の理不尽さを味わうことができたことをプラスに考えています。
嫌な体験は、尊い体験に変えられます。
私のような体験をしている子どもたちにそのことを伝えたいです。


私の嫌な体験が良いものだったと、気づくのも、ずーっと後のことで30代でヨーロッパに住み、個性的な人種の中に入り私は、本来持っていた自分の可能性の羽を広げられ、自由になったのを今でも覚えています。
そのおかげで13年間4つのヨーロッパの都市に住み、子育てをしながら、妻として人として鍛えられ、楽しむことができました。
持ち前の好奇心と柔軟性に救われたのです。

13年後、日本に帰りほっとした面と、まだまだ女性が生きにくかった(30年前の)日本で、今度はどうやって生きていこうか?と悩みながら、ヨーロッパで広げた私の羽を閉じ、目立たないようにと日本での生活が始まりました。
さてさて、その後どうなったか?私の羽根は閉じることができませんでした。

文化が違う国の良さと悪さなどいろいろあります。
また、日本の良さと悪さもあります。
どの国も良いところ、良くないところが同じようにあります。 


今や風のい時代に入り、人々はより自分らしく生きられます。
以前に比べ女性も自由に表現できるようになっています。 
調和を重んじる日本、個性を重んじる西洋、どちらも体験してきて、私はいろいろなものとバランスを取りながらやっていくことが一番いいと学んでいます。


それでは、またこのブログに興味を持っていただけましたら、ぜひ、次回この続きをお楽しみください。