7月12日から
二泊三日の沖縄旅行の最終日です

ぼちぼちブログなので
宜しかったら
お付き合い下さいませ

那覇都ホテルの
朝食バイキング

とても充実していて
美味しかったです

まずは首里城へ
有名な守礼の門

首里城から見た
那覇市内に青空

遠くに
東シナ海⛵

赤がメインで
日本国内の装飾とは
少し違った隣国に
似た感じ

全体の図も
広い御庭では
色々な儀式等が行われていたようです。
まさに
王朝ですね
「まるで、中国の紫禁城みたい
」と

言ったら
隣にいた女性が
「一緒ですよ
」と。

主人が
「よく、御存知ですね」と言うと
「私、中国人ですからぁ」
そっか

なるほどね


世界遺産になったのは
ガラスの床越しに見える
基礎部分が
残っていたからだそうです

フムフム

所々に
当時の衣服を着た方々が
いらしたので
記念に1枚

「暑いさー
」と……

ご苦労です


つぎは
おきなわワールドに

エイサーという
沖縄独特の躍りを見物し
次に
玉泉洞という
鍾乳洞へ

長ーい階段を下りて
行くと

目の前に
神秘的な景色が



又
私は見たくなかったのに

主人が…ブツブツ
ハブのショーを
見せられた

ウゲー



(以前はハブ対マングースが
あったようですが
動物愛護の関係で
無くなったようです
代わりに水槽で
競走させてました
)

どうなんでしょうかねぇ

次は
いよいよ
「ひめゆりの塔」と
「ひめゆり平和祈念資料館」です
徐々に
南の方に
追い詰められていく様子の
表示看板が……


一番最初に
建てられた
ひめゆりの塔は
黒丸内の小さな石碑でした。
亡くなられた娘さんを想い、
お母様がされたものです。
この穴から下の方に
奥深くイビツな形の場所で
劣悪な状況の中
兵隊さん達を看護されていたのです。
ひめゆり学徒隊が、有名ですが
この周辺には
同じ様な豪がいくつもあり
各々に石碑があるみたいです。

平和祈念資料館に入り
当時の物や
ビデオ、回想録等を
見ていると涙が止まりませんでした。
生き残った方は
「死ねなかった。生きてしまった」
と後悔して生きてらした時期があったとか
後に
「行かされたんだ。伝えていかなくては」と
丁度
見て回っていると
ある場所に
お一人のおはあちゃまが
座ってらして
ひめゆり学徒隊の方でした。
一言二言
お話しさせて頂きました
「一緒に居た、お友達が
忘れられないんです。又
亡くなられた兵隊さんを
埋葬するのに場所もなく
近くにあった凹んだ穴に。
あれでよかったのか…いまだに
後悔してます」と。
こんな高齢の方が
今迄、ずっと心を悩まされてたのかと
思うと
言葉の掛けようが、ありませんでした。
「お体に気をつけて、お過ごしください」
としか。
今度は
観光ではなく
南部の方面を
勉強して回りたいと
思いました。
長々と書きましたが
お付き合いくださり
有り難うございました