この時期になると



自宅の庭先から




金木犀の馨しい香りが漂ってきます。

あぶくのぶくぶく



洗濯物にまで滲みつくほどの
強い香りを放つ花。




この香りに触れると


なぜか思春期のころの多感極まりない自分を思い出す。





金木犀にまつわる想い出があるわけでもないのに。







不思議なものです。





でも。



そのひとにしかわからない。
そのひとの心だけが動く。

そんな香りがあるような気がします。






ことばもまた同じ。



ことばというのは
その人の体験を引きずっているものだ、と言います。





何気ない日常のなかで触れた
何気ないと思われることば。



そこに無防備に触れてしまった瞬間の
こころの振り幅の大きさに驚くこと、ありませんか?





ひとの心をつかむ文章を書くということは
そういうふいの言葉をうまく使えるということ。



そういうことばは
自分自身と向き合わなければ


決して



決して紡げない。







自分のなかにあるものしか出せないから。

だからこそ常にその引き出しをいっぱいに。



それは、ボキャブラリーとは、違う。

こころのことば、をたくさん持つこと。






それはいくら勉強したって持てないもの。





五感のすべてを使って
まっすぐにそのものの本質を見ていくこと。




ときに苦しくなるくらい。





そうして使われることばは


どうにも美しく澱みがなくって。
これでもかってくらい無駄がなくって。






そんなことばを使うひとを




私はどうにも










好きになってしまうのです。