生まれ育った土地を離れ

地方都市に住む旦と結婚して3年…


旦那の幸せは、子供と孫との時間だ

私とは日常生活を過ごすだけだ


今朝いきなり旦那から、来月彼の誕生日の祝いに子供達が来る事を聞いた


そこに私の息子の存在はなかった

息子も還暦祝いには呼ばれていたが、私の体調不良等もあり還暦祝いの旅行を取りやめた経緯がある


義理の娘は父の誕生日プレゼントの代金請求を私の息子にしているにも関わらず…


息子が遠方から来れない事はわかっているが、誘いの声を掛ける事は大人としてマナーだ、30歳近くの二児の母で銀行員の彼女にはわかるはず…


前々から感じではいたが、今回の話しで明らかに旦那の子供にとって私達は部外者だと感じた


そんな中で、私は使用人の様に過ごす事は耐えがたい、その日私は外出すると伝えた


旦那は渋々了解しながらも、私のワガママを聞き入れていると遠回しにネチネチ伝えて来た、黙っているつもりだったが我慢しきれなかった


「お祝いの席に、息子に声掛けもせずに事を進めて、プレゼントの代金請求だけする事はかなり失礼、その時点でね気が付いたのよ、子供達は冷静だなって、だから何も無理して家族をする必要はないよね」


「貴方の子供にとって親は貴方と前妻、離婚して数年しか経っていないから、親の復縁を願う気持ちがあるのはわかる、子供を持ったら尚更だよね両親復縁したら気楽に孫を預けたり出来る、普通の家族みたいに戻りたいと思う子供の気持ちは理解できる」


「貴方は子供の為に何でもする人、だけど何があっても、前妻を私達の家に招く事だけはやめて」


いつもキレてしまう旦那が黙って聞いていた…


その姿から私の気のせいではなく、彼の子供が親の復縁を望んでいる事を、彼自身が感じていた事が伝わって来た


昨夜は御飯時に夏休みの話しをした

今年は新盆だから義弟が来るだろうな、そう楽しそうに旦那は話していた


夏休みに夫婦二人で過ごすビジョンはない

ふと?考えた旦那の幸せには私はいるのだろうか?


私の存在とは日常生活の便利さに必要な人材

家政婦、使用人?そんな文字が脳裏に浮かぶ


毎月、毎月

子供、孫、義弟…人を招く予定を入れて来る、主人はたまに来ると言うが、ローテーションみたいになっていると、毎月誰かがやって来ている…


Uberもなくドミノピザでさえ配達圏外な地域だ

飲み物一つ買うのにも往復20分はかかる


風呂に入って帰る娘達の為風呂釜洗浄をしろ

とにかく掃除をしろ、赤ん坊に危なくない様に片付けておけ、昼寝用の布団干し、買い出しから仕込み、6人➕3人の食事を作り片付けをする…


そこに何週間も前から時間を費やし、たかが1日の訪問であるはずが、何週間も前から会話はそれだけになり、休みの日も準備に終わってしまう


旦那にとっては幸せな時間だろう…

だが結婚して3年目、年齢は関係ない、夫婦の時間を私は優先したいが全く伝わらない


彼の子供達と疎遠だった頃は、義父の事を気を配りつつも、夫婦の幸せな時間もあったのだが…


彼にとって再婚は何だったのか?

家事をしない恐妻であった前妻ではなく、便利で素直な女に変え、自分が思う父をやりだかっただけなのだろうと感じてしまう私がいる


再婚は子供の為にするものではない

自分の幸せを掴む為にするものだ


残念ながら

今の旦那は、溺れて何も見えていない

常に子供を最優先に考える旦那と暮らせるのだろうか?


50を過ぎて地方で暮らしてしまうとどうしても視野が狭くなる、前の私なら簡単にやってのけた事も躊躇する自分になっている


まずは別居をして考えたらどうか?と姉には言われたが、別居するなら見知らぬ土地ではなく地元東京になるので尚更腰が重い


今はただ、何度も離婚する母の子供と言うレッテルを息子に背負わせない!これだけが今の私を踏ん張らせてくれている