逃亡 1日目 | みさっちの備忘録

みさっちの備忘録

2010年9月、CIDP発病。
(2023年4月現在、9年寛解継続中)
2013年4月乳ガン告知、左乳房全摘出手術&腋かリンパ節郭清。三大治療、ゾラデックス5年終了、ホルモン療法9年目突入。
2022年2月、子宮全摘出術。
高3娘、中2息子。

2023年7月11日(火)

逃亡決行


数年間に渡る義父とのコミュニケーション不足な生活。日々腹立たしさとの葛藤。

それでも生活は続いてる。


夫が退院してきて1週間。

優しくしてあげなきゃ。うるさく言わないようにしないと。って思っていたけど、夫は少しずつ体が動くようになってきてチョロチョロ出て歩くから、あまり急になんでもやらないように注意したら「いちいちうるさい!俺に話しかけるな!」って怒鳴られました。


あっ、もうムリだ。


私も色々限界が来て、自分で自分を傷つける前に、自分を守る為に逃げました。

•・•だって【逃げてもいい】んだよね?


今までの生活のあれこれ、夫が入院してから今日までの態度、義父に対しての不満。

もう何もかもどうでもよくなってしまいました。



11日の朝、夫が出かけた隙に、必要最低限の荷物をまとめて、とりあえず車に荷物を乗せて早番のパートへ。

仕事中色々悩みました。子ども達の事しか浮かばない。やっぱりこのまま我慢しているしかない。けど意見もできない。もどかしい。消えたい。何もかも嫌だ。


仕事が終わって速攻で家に帰り、部屋のテーブルに家の鍵、夫のキャッシュカード、車の鍵。全ておいて車から荷物を取って逃げるように駅へと向かいました。


駅まで歩いて20分。私が居ない事に気づかれて追いかけてきたり、見つからないように、近所の人に会わないように。駅までの民家を縫うように歩いて駅到着。

電車が来るまであと30分。無人駅の待合所や渡り廊下に移動しながら汽車を待つ。


息子の乗ったスクールバスが駅に着いて、バスを降りてから友だちと喋っている。

そんな姿を見ているうちに電車が来た。


隣町の大きな駅まで普通列車で約40分。

ちょうど娘が帰ってくる電車とどこかですれ違うだろうと、普段乗ったことのない電車にドキドキしながら、景色を見ながら、そして娘にLINEしました。

 《ごめんね。ママ家出ました》

 《必ず迎えに行くから》

 〈そっか。わかった〉

 〈私の事はいいから、落ち着いたら連絡ください〉


優しい娘。


隣町の駅に着いて、この辺のビジネスホテルに泊まるか、実家に行くか凄く悩み、結局は札幌行きの乗り換えがちょうどあったので、えいっ!って飛び乗りました。

こんなことして大ごとになる。だけどもう引き返せない。

夫からの着信が続いてる。けど出ない。


1時間普通列車に揺られ、色々な事を考えているうちに、今北海道で有名になっている【エスコンフィールド】を間近で見て、「デカっ!綺麗!」と現実に戻って駅を降りました。


札幌駅までは行かず、何駅か手前に【新札幌】と言う駅があります。そこから地下鉄に10分乗車して、徒歩5〜6分で実家に着きます。


だけどだけど。新札幌に着いたのが18時過ぎ。まだまだ明るい。

地下鉄から実家までの間で、親戚や知っている人に会う可能性が高すぎる環境。

車で遊びにきていて、地下鉄乗って出掛けたのかなと思ってくれると考えながらも、後ろめたい気持ちがあるから警戒する。


新札幌にある商業施設をブラブラして、いつもならワクワクしながら見るアパレルショップにも今日は全く目がいかない。


全くお腹は空いてない。

だけど、地下のフードコート歩いたら何か食べたくなって、色々見てハンバーグを食べました。


腹ごしらえもしたし、太陽も沈んだし実家に向かうか!

ドキドキ。怒られるよね。。。


色々考えながら向かっていたら、途中で母からLINEがきて、娘がばあちゃんにママがいないと電話したようで家を出たのはバレた。


すぐに実家に着いて母は笑いながら出迎えてくれました、

愚痴をこぼし、散々喋ったら一気に疲れた。


『あんたはやっている事が多すぎる。嫁の度を超えている、夫の事義父の事、そんな事までやってあげてるの?て事が良くある。少しあんたのいない大変さわかればいいのにね。』


あまりにも理解されてすぎて拍子抜け。



父は翌日病院があり前泊できたのだと思っていたようなので「家出してきた」と言ったけど、間に受けてない。まぁいいや。


疲れたけど、寝付けず朝を迎えました。


                つづく