でも入院してIVIg治療をして回復し元気になり、「やっぱり難病なんかじゃない」と安堵したのも束の間…特定疾患の申請書を提出したら3ヶ月後の12月上旬に《特定疾患受給者証》が届いてしまいました。正直戸惑いました。
「もう治ったから必要ないんだけど…」とその時は病気に関する事など無知でした。
ネット等で色々調べては見たものの、この病気は希少難病に加え、一人ひとりの症状が全く異なっている為、これと言う治療法が確立していない事、お医者さんも手探り状態で治療をするしかないのです。
同じ病気の方のブログを見ても、もう何十年と病気と戦い身障者になっていたり、身体の異変に気付き病院に行ったけども原因がわからず、色々な科をたらい回しにされ、何年も経って漸く病気の診断がついた時には寝たきり同然になっていた等…私は異変に気付き病院へ行き、たった2ヶ月余りで病気を早期発見してくれた主治医に感謝しなければいけません。
早くに病気が見つかったし、幸い感覚障害のみで手足の痺れの他、走ったりある程度の重い物も持てるし、検査では運動神経障害も若干出ていたようですが特に気になる事もなく毎日の生活を送っていました。
それが翌年の1月に再発、再入院

これは前回のブログでも書きましたがIVIgの効果がきれてしまった事と、その後手術をしてしまったからだと思い、再度IVIg点滴をして同時にステロイドも飲み始め、今までは多少の頭痛や腹痛でも薬を飲むこと自体に抵抗がありなるべく飲まないようにしていた、いわゆる健康体そのものだった私がステロイド剤を服用することになるなんて

そして極めつけには、2回目入院中の、退院前説明では前回は夫と二人で主治医らと話をしましたが、この時は母にも同席してもらいました。母も病気についてもう少し知りたいと言うことで病院に来てもらったのですが、その時主治医にはっきりと「厳しい言い方かもしれないけど、この病気とは一生付き合っていく覚悟でいて下さい」と言われました。私はその場で涙をこらえました。
(やっぱり治らないのか…
)今まで家族や両親に散々心配かけてきたのにこれ以上迷惑をかける事になったらどうしようといろいろ考え、その為には私自身が病気を認めて向き合わなければ、きっともっと酷くなると思い、それからは何かが吹っ切れたように前向きになって、ごく身近な友人にも病名と症状を伝えました。今考えると何であんなに頑なに病気を隠し、受け入れられなかったのか不思議な位ですが、それまでは病気を認めて、周囲に言ってしまうとなんだか「負け」になると考えていました。病気を持っていると言うことに甘えたり、くじけてしまうんじゃないかと思ったからです。でも退院後、暫く振りに参加した育児サークルに顔を出し、意を決してママ友たちにはっきりと今現在の病状を説明しました。皆に迷惑や心配、変な気を遣わせたくなかった旨等を話すると皆から「ごめんね、そんな大変な状態だったのに気付いてあげれなくて」「なんでもみさっちに頼りっぱなしで余計負担かけてしまったね」等々優しい言葉をかけてもらい涙が止まりませんでした。
これで隠す事はなくなった。真剣に考え、なるべく頼める事はお願いして負担を減らそうと思いましたが、性格上なかなかそうもいかないのが現状です

今はなるべくストレスを溜めないように、子供たちの為にも再発しないように色々考え平穏な日々を送っています。
前回ブログで書いた昨年の5月までの続きはまた近々更新しますね
